【好事家w.w.からの挑戦状 15-2】 このペンネームは誰?(作曲家、解答編 その3) | 歌謡曲(J-POP)のススメ

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音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 さて、今回は、お待たせしていたクイズの解答編です今回は、ちょこちょこ動画も付けてみたので合わせてお楽しみ下さいねそれではさっそくどうぞ~


●解答●

(1) 五大洋光 → 矢沢永吉


ひとこと “五大洋光”とは、こりゃまた随分とスケールが大きくて、いかにも”永ちゃん”らしいペンネーム付けちゃったなぁという印象ですね。まぁ、個人的には、公務員っぽくてダサダサの田所純一郎(井上陽水のペンネーム)とか、カッコよくしたつもりでイマイチ無理のある入江剣(吉田拓郎のペンネーム)とかの方が、スキだらけで“好み”なんですけどねぇ…


(2) 木下鉄丸 → 槇原敬之


ひとこと “木下鉄丸”というのは、実は、漫画アニメ“忍たま乱太郎”に登場する、ちょいとコワモテの先生の名前だったりします。使われたタイミングを考えると、槇原敬之がアニメからペンネームに拝借したと見るのが自然でしょうねぇ。それはともかく私が興味あるのは、彼がなぜわざわざペンネームを使ったのかってことですね。 「ほんとは、ね…」がリリースされた1993年といえば、松下里美にとってはデビューから5年が経過。ガールポップ的な売り出し方をされていた実力派だったにも関わらず、イマイチ人気が上がらず。一方のマッキーはミリオンセラー「どんなときも。」で一躍売れっ子アーティストになって絶好調の真っただ中 要するに、“槇原敬之作曲”というクレジットを前面に出して上手くプロモーションすれば、松下里美にもブレイクするチャンスがあったように思うんですが…。何か“大人の事情”が絡んでたのかしらん


「ほんとは、ね…」(松下里美)(1993年)



(3) Benn Miller → 遠藤実


ひとこと 千昌夫の「星影のワルツ」や「北国の春」、渡哲也の「くちなしの花」、森昌子の「せんせい」などなど、いわゆる“ド演歌”とはひと味違った切り口で、風景画を眺めているような実にいい気分に誘(いざな)ってくれた遠藤実センセはしみじみと素晴らしかった・・・。そんな偉大な遠藤実センセも、最初は“星幸男”というクレジットで作曲活動を始めたものの思うようにヒットが出ず、数年後には“遠藤実”に改名。1957年に藤島桓夫の「お月さん今晩は」がようやくヒット・・・。意外にも“苦労人”だったりするんですよね
 ちなみに、クイズのヒントに出した「自分の名前をあしらったレコード会社」というのは、“ミノルフォンレコード”のこと
。遠藤センセが活躍した頃はまだ歌謡曲の作曲家が特定のレコード会社に専属する時代でしたから、ご多分に漏れず、“米田信一”(島倉千代子の「からたち日記」など)、“継正信”(北島三郎の「あばよ東京」など)、“野原耕”(岡晴夫の「男涙の三度笠」など)などの別ペンネームがあるのですが、“Benn Miller”はミノルフォンで使われてたので明らかに事情が異なります。わざわざ外国人の名前にしたのは、きっと遠藤センセの単なる”お遊び”だった可能性が高いですね


(4) 上田成幸 → 舟木一夫


ひとこと ♪ 赤い夕陽が 校舎を染める~ う~む、やはり名曲ってのは、時を経ても色褪せないもんですねぇ…。この「高校三年生」を作曲したのは、前問にご登場いただいた Benn Miller… もとい、遠藤実センセです(先に“風景画を眺めているような実にいい気分”と書いたニュアンスが、皆さんにも伝わると嬉しいのですが…)。ちなみに、「銭形平次」を作曲したのは遠藤実センセではなくて、水前寺清子の「いっぽんどっこの唄」などで知られる安藤実親センセ。「銭形平次」もノリがよくてキャッチーな名曲ですよねっ



「高校三年生」(舟木一夫)(1963年)


「銭形平次のテーマ」(舟木一夫)



(5) 響わたる → すぎもとまさと(杉本眞人)



ひとこと すっかり色つきサングラスでお馴染み()の杉本眞人センセの場合も、あえて別ペンネームを使った理由が分からないパターンですね。ほぼすべての他者提供作品が“杉本眞人”名義になってるのに、安西マリアと麻丘めぐみのシングルA面で“響わたる”になってるのはなぜ… もしかして、“杉本眞人”名義でアイドルに提供するのが恥ずかしかったとか… だけどなぁ、そんなこと言ったら、吹田明日香の「二人はMagic」とか、桜たまこの「東京娘」を書いたことの方がよっぽど恥ずかしいと思うが…(←大きなお世話)。もしホントの理由をご存知の方がいたら、ぜひ教えて下さいね~m(_ _ )m


「二人はMagic」(吹田明日香)(1983年)


(6) Danny Long → 長戸大幸

ひとこと まぁ、うすうす予想はしていたのですが、長戸大幸センセはキャリアは長いのにメディアに一切出てこないお方なので、インターネットで探しても“ご近影”が見つかりませんでした。初期のZARD(坂井泉水)や大黒摩季の売り出し方とまったく同じパターン()なのが、いかにもビーイングらしいというか何というか…
 ところで、作曲クレジットが“Danny Long”ってことで、エマニエル坊やの「シティ・コネクション」を、洋楽だと思い込んでた人なんか、結構多そうですよね…
。ほーら、そこのあなたも。


(7) 小諸鉄矢 → 川島だりあ(川島みき)



ひとこと 少しだけ補足しておくと、クラリオンガール時代の名前が“川島みき”、作詞作曲家としてのクレジットは、“川島だりあ”です。“川島みき”は知らなくても、“川島だりあ”の方は、ビーイング系アーティストのCDのクレジットでお目にかかったことがある方も多いのでは
 “主なシングル作品”のところで挙げた「ムーンライト伝説」は、アニメ「美少女戦士セーラームーン」の主題歌なのですが、この曲、中谷美紀が黒歴史()時代にリリースした「夢はマジョリカ・セニョリータ」(KEY WEST CLUB)(1992年)の歌詞だけ変えた異名同曲(しかもオリジナルを差し置いて先にリリースされるという… これこそ”オトナの事情だぁ~)であることは、アイドルマニアの間ではかなり有名です。不可解なことに、KEY WEST CLUBの方の作曲クレジットは、最初“小諸鉄矢”だったのが、わざわざ後から“川島だりあ”に訂正されたんですよねぇ(ちなみに「ムーンライト…」の方は“小諸鉄矢”のまま)。そのままに放っとけば、“川島だりあ”=“こもろてつや”なんつーかっこ悪い話もなかっただろうに…。そうそう、4人組DALIのうち2人は、後にManish(マニッシュ)を結成して大ブレイク…というのは、ちょっとした”耳より情報”かも知れません


「恋はマジョリカセニョリータ」(KEY WEST CLUB)(1992年)


「ムーンライト伝説」(DALI)(1992年)



 それでは、今回はこんなところで
 またお逢いしましょう~