【好事家w.w.からの挑戦状 15-1】 このペンネームは誰?(作曲家、問題編 その3) | 歌謡曲(J-POP)のススメ

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音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 いやはや、またまた記事の間隔が少し空いてしまいましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか

 私はここしばらく、来月10日が提出〆切りの“科研費”の申請書作りに追われて
、落ち着いて記事を書く時間が思うように確保できない日々が続いています。“科研費”の採択率は例年だいたい2割前後なので、当たる確率を野球に例えると、8番バッターがチャンスにヒットを打つくらい・・・かなぁ(なぬ、例えが分かりにくいって?こりゃ失礼)。大学の先生方に競り勝って研究資金を獲得するのはそれなりに大変なのですが、私も部下連中も“おまんまの食い上げ”になるのはヤなので、まぁぼちぼち頑張っておる次第です

 そんなこんなで、今回はストックネタ(=貯金)を取り崩して記事にすることにしました
。皆さん、半月くらい前にやった「歌謡曲の作詞家の変名(ペンネーム)に関するクイズ」を覚えておられるでしょうか・・・今回は、作曲家で同じクイズをやってみたいと思います。実は、作曲家シリーズは2013年7月6日、7月12日に続いて今回で3回目となるのですが、もちろん前回までに出題したネタの使い回しはなく、すべて新ネタ(7問)となっております。

 毎回物議を醸しまくり(
)でご迷惑をお掛けしているヒントの難易度に関しては、半月前にやった作詞家の時とほぼ同程度に設定して、けっこうあれこれヒントを付けてみましたので、「歌謡曲にそんな詳しくないよぉ…」という方もぜひぜひ挑戦してみて下さいね~。ちなみに、今回も前回同様、知名度が高いと思われる方から順に並べてありますよ。

 準備いいですか…それでは、問題の方いってみましょうかね



●問題●
次に挙げるクレジットはいずれも、歌手・タレント・作詞作曲家による歌謡曲作曲時の変名(ペンネーム)です。それぞれ誰でしょうか。

(1) 五大洋光
主なシングルA面作品:「紫のハイウェイ」(クールス、1975年)、「ガラスの青春」(星正人、1976年)

☆ヒント 
我が国を代表する現役ロックミュージシャンのペンネームです。’70年代に結成したバンド「キャロル」からソロ活動に転じ、我が国のソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを開催した偉大なお方でもあります。自著伝「成りあがり」が、いわゆる“不良少年”を中心に熱狂的な支持を集めて、ちょっとした社会現象になりましたね

(2) 木下鉄丸
主なシングルA面作品:「ほんとは、ね…」(松下里美、1993年)

☆ヒント 
1991年にリリースした3枚目のシングルが167万枚のミリオンセラーとなった超有名男性アーティストが活動初期に使っていたペンネーム。’90年代に活躍したロックバンド“すかんち”のローリー寺西と”いとこ同士”というのはけっこう有名な話です。2003年にこれまたミリオンセラーとなった「世界に一つだけの花」(SMAP)の詞・曲・アレンジをすべて手掛けた人、と言えば・・・そう、あの人なのです

(3) Benn Miller (ベン・ミラー)
主なシングルA面作品:「恋のバンバン」(山本リンダ、1969年)、「エルムの恋」(ザ・デビィーズ、1969年)、「ひとり待ち」(ハピー轟、1969年)、「さみしの心」(金玉花、1969年)

☆ヒント 
‘50年代に作曲家としてデビューして以来、世に送り出した歌謡曲は何と5000曲 その多くは“演歌”のカテゴリーに入る作風であり、千昌夫、森昌子の育ての親としても有名ですが、その一方で、山本リンダの「こまっちゃうナ」みたいなキッチュな曲をヒットさせちゃう面白いセンセなのであります。’60年代には、自分の名前をあしらったレコード会社の社長にもなりました。没後の2009年に国民栄誉賞を受賞したことも、記憶に新しいところでしょう。

(4) 上田成幸
主なシングルA面作品:「グッドバイ・ソング」(西村協、1984年)

☆ヒント 
‘60年代に西郷輝彦、橋幸夫と共に“御三家”として一世を風靡した男性歌手のペンネーム(というか本名)です。歌手としては何と言っても青春ソング「高校三年生」が有名ですが、広く世間に知られているという意味では、♪ 男だった~らぁ 一つに賭けるぅ~ の歌声が心地よい“銭形平次の主題歌”の方が上かも知れません

(5) 響わたる
主なシングルA面作品:「サヨナラ・ハーバーライト」(安西マリア、1976年)、「センチメンタル・グループ・サウンズ」(安西マリア、1976年)、「夜霧の出来事」(麻丘めぐみ、1976年)

☆ヒント 
‘70年代から現在まで、幅広い作風の歌謡曲を量産続けている男性作曲家が、活動初期に使っていたペンネーム。通常使っているクレジットで出した作品では、「お久しぶりね」(小柳ルミ子)(1983年、39.7万枚)、「東京娘」(桜たまこ)(1976年、12.4万枚)、「わかれ道」(渡哲也、いしだあゆみ)(1986年、11.6万枚)・・・あたりが有名ですね。作曲家としてずっと安定した仕事ぶりだったため、2007年に自作の「吾亦紅(われもこう)」を自ら歌ってオリコン最高位2位の大ヒットを叩き出し、紅白歌合戦にまで出場したのは、さすがに私も驚きました。もともとシンガーソングライター出身ってことで、「歌手としてのヒット曲が欲しい」虫がうずいたんでしょうか・・・

(6) Danny Long (ダニー・ロング)
主なシングルA面作品:「シティ・コネクション」(エマニエル、1981年)

☆ヒント 
このお方はもともとバンド出身ですが、’70年代中盤からは他のアーティストのプロデュースを手掛けつつ作編曲もこなした、我が国の音楽プロデューサーの元祖のような存在と言っていいでしょう(ちなみに通常のクレジットはフツーの日本人名です)。’90年代に我が国の音楽シーンで一時代を築いたあの“ビーイング”の創業者(現在は取締役)でもあります。’70年代に、氷室京介(当時は“寺西修一”)や織田哲郎が若い頃に所属していた“スピニッヂ・パワー”をプロデュースしてヒットさせた・・・なーんて考えると、改めて“隔世の感あり”ですよねぇ

(7) 小諸鉄矢
主なシングル作品:「ムーンライト伝説」(DALI、1992年)

☆ヒント 
この”こもろてつや”というサムーいオヤヂギャグ炸裂のペンネームの正体は、実は第13代クラリオンガール(つまり女性)だったりします。1986年にソロデビュー。2度も改名しますが歌手としては結局ヒットが出ず、’90年代初めからは他のアーティストに詞・曲を提供する立場に。裏方に徹するようになってからは、Manish、愛内里菜、上原あずみ、三枝夕夏 IN dbなどのビーイング系アーティストでヒットを飛ばしているので、歌手時代よりも作家時代のクレジット名をご存知の方が多いのでは…


 問題編は以上です。何問くらい分かりましたか

 解答コメントの募集とかは特にしませんので、読者の皆さんが各自で楽しんで下さいね~。そうそう、「○番はすぐ分かったけど、△番はさっぱりだった」、「このペンネームは初めて知った」などなど、クイズの感想なんか戴けるとこちらの記事を書く励みになりますので、ぜひ宜しくお願いしますm(_ _ )m

 それでは、今回はこの辺でおしまい
 またお逢いしましょう