【好事家w.w.からの挑戦状 14-1】 このペンネームは誰?(作詞家、問題編 その2) | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 少しばかり仕事の方が立て込んで、ブログ記事の更新が1週間以上ストップしてしまいました。周囲はすっかり秋の陽気になってきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか

 私はと言えば、この夏に受けた人間ドックで誠にスヴァラシい結果を戴いてしまい
、ドクターから「まさか今年は“食欲の秋”はあり得ないですよね・・・」と、やんわりと、しかし強い口調で諭されてしまうという為体(ていたらく)・・・。かといって、“スポーツの秋”を標榜するほどの技も体力もないので、せいぜい“読書の秋”とシャレ込むのが関の山かなぁ・・・なんて感じの今日この頃であります

 あ、こんなアホなこと書いてても、ちゃんとドクターの指示に従って順調に減量中
ですので、どうぞご心配なさらぬよう(なぬ、ぜんぜん心配してないって こりゃどうも・・・。)

 と、そんなこたどーでもよく
。今回はちょっと久々に、「好事家w.w.からの挑戦状」でいってみたいと思います。ちなみに“ネタ”は第1回目(もう1年2ヶ月も前なんですよね)の続編として、歌謡曲の作詞家の変名(ペンネーム)に関する出題(その2)です。新規の読者の方やさっぱり記憶にない方向けに、趣旨と内容を改めて説明しておきますね~

 企画の趣旨は要するに、歌謡曲(&芸能界)に関するよもやま話を、クイズ形式でお伝えできれば・・・、ってことです
。今回出題する問題は全部で7問(もちろん前回出題したネタは出しません)。いちおう、知名度が高いと思われる方から順に並べましたが、マニアックなメンツを扱った問題にもできるだけヒントを付けて、歌謡曲のビギナーにも楽しんで戴けるような出題にしてありますので、ぜひ挑戦してみて下さいね

 それでは、さっそく問題の方いってみましょうか



●問題●
次に挙げるクレジットはいずれも、歌手・タレント・作詞作曲家による歌謡曲作詞時の変名(ペンネーム)です。それぞれ誰でしょうか。

(1) kikuji
主なシングル作品:「心から好き」(宮沢りえ、1992年)

☆ヒント お笑い芸人にして映画監督としても世界的に名高いマルチな才能と言えば・・・・もうあの人しかいませんよね
 歌詞を提供した宮沢りえとは、エースコックのCMや映画「エロティックな関係」などで共演した関係か、二人は不倫関係にあるのでは・・・というまことしやかなウワサが立ったのも、りえママ亡き今となっては懐かしい話ですよねぇ。

(2) 江戸門弾鉄
主なシングル作品:「恋の汽車ポッポ」(大瀧詠一、1971年)、「空飛ぶクジラ」(大瀧詠一、1972年)

☆ヒント 大瀧詠一も所属していた伝説的グループ「はっぴいえんど」のドラマーのペンネームです。’70年代に専業作詞家に転向し、ロックに日本語を載せる試みに挑戦した先駆者の一人でもありますね。’80年代には我が国の歌謡シーンを代表する作詞家として大活躍しました。世間的には、松田聖子のデビュー2年目から14作連続でシングルA面の歌詞を手がけた作詞家として有名ですかね。ちょっと非現実的でメルヘンチックな詞の世界が、女性を中心に幅広い人気を博しました。

(3) 城戸依子
主なシングル作品:「赤い靴の女の子」(マナ、1980年)

☆ヒント ’70年代後期から’90年代初頭にかけて、女性アイドル歌手を中心に多数のヒット作を提供した女性シンガーソング・ライターのペンネームです。有名なほうのクレジット名で出した作品として最も売れた作品は、松田聖子の「天使のウィンク」(1985年、1位、41.4万枚)。また、小林麻美
の可憐な姿が印象的だった資生堂の口紅CMソング「マイ・ピュア・レディ」(1977年、4位、23.2万枚)も、自ら歌ってヒットさせています。

(4) 葉月多夢
主なシングル作品:「遠い日」(フォーリーブス、1975年)

☆ヒント 東大卒業後に銀行員を経て、’70年代にシンガーソング・ライターとしてデビューした男性(
)が、作詞時に使うペンネームです。歌手としても、「めまい」(1975年、オリコン最高位4位、47.7万枚)、「揺れるまなざし」(1976年、5位、40.9万枚)などのヒット作を持つほか、有名なほうのクレジット名で作詞作曲を手掛けた「シクラメンのかほり」(布施明)(1975年、1位、105.1万枚)が何と言っても有名ですよね。彼に関しては、「キレイな歌声を聴いた人がどんなハンサムかと思って本人を見たらガッカ(以下自粛)」という失礼なエピソード(←あ、失礼なのは私か)が割と有名ですが、要はそれくらいホレボレする歌声だってことで、どうかひとつ・・・m(_ _ )m

(5) 川路美樹
主なシングル作品:「月影のなぎさ」(ミッキー・カーチス&ブライト・リズム・ボーイズ&クレージー・ウエスト、1958年)、「恋の片道切符」(ミッキー・カーチス&雪村いづみ、1960年)

☆ヒント ‘50年代に日劇ウェスタンカーニバルに出演したロカビリー歌手で、当時、平尾昌章、山下敬二郎と共に「ロカビリー3人男」として一世を風靡した男性歌手が、日本語の訳詞を付ける際に使ったペンネームです。上の「主なシングル作品」をじっくりにらむと・・・答えが見えてくるかも


(6) 風堂美起
主なシングル作品:「ひとみしりAngel ~天使たちのLesson~」(小川範子、1990年)、「手をつないでいて」(薬師丸ひろ子、1990年)、「Never Rain」(織田裕二、1994年)

☆ヒント 「スター誕生!」第45回決戦大会で合格したことをきっかけに、1983年の暮れに「ひとりぼっちは嫌い」でアイドル歌手
としてデビュー。“ポスト松田聖子の正統派”としてCBSソニーの“期待の星”でしたが残念ながらブレイクせず、5枚のシングルを残して表舞台を去ることに。名前を変えて作詞家に転向したのは1990年頃からで、大ヒット作こそないものの、メジャーどころのアーティストにシングル作品を提供しています。

(7) 中里綴
主なシングル作品:「人恋しくて」(南沙織、1975年)、「真夏の少女」(堀ちえみ、1982年)、「標的」(渋谷哲平、1979年)、「バラの渚」(あおい輝彦、1978年)

☆ヒント 西野バレエ団出身の“5人娘”として活躍した由美かおる、金井克子、奈美悦子らと共に、1967年に「レ・ガールズ」を結成。 1968年には、筒美京平作曲によるビートの効いた「涙でかざりたい」でソロ歌手としてデビューを飾りますが、惜しくもヒットには結びつかず。
たった半年ですが、1971年スタートの長寿名物番組「新婚さんいらっしゃい!」の初代女性司会者でもありました。’70年代中盤からは“中里綴”のクレジットで作詞活動を展開していましたが、1988年、復縁を迫りストーカー行為を繰り返していた元夫に刺殺された事件は衝撃的でしたね・・・


  ・・・以上で問題編はおしまいです
。いかがでしたか

 ま、さすがに今回は“ヒント出し過ぎ”の感もなきにしもあらずですが、これまでの反省を踏まえると、こんなものかなぁ・・・と思いますね。すぐに解けちゃった方は私のマニアックなお仲間ってことで(←へへ、結構イヤでしょ)、どうかご理解のほどを。

 解答編の記事は、今月末(おそらく9/30)にアップする予定
です
。解答コメントの募集とかは特にしませんので、ぜひ読者の皆さんが各自で楽しんで下さいね。それでは、またお逢いしましょう~