私は、非常にありがたいことに、大変な健康体です。
風邪はひかない。大病しない。
最近ようやく、心からこのように私を生んでくれた母親と父親に感謝できるようになりました。
と、いうか、自覚できるようになりました。
何をするにも、気力体力が必要であるってことです。
思考ですら、身体の調子に影響されるのね。
なので、母親に礼を言いました。
なんでこんなこと書いてるかといいますとね、最近私の友人が絶不調で。
もともと、身体の弱い人だったのですが、ここにきて、かなり悪くしています。
会社も休みがちだそうで、久しぶりにメールしましたら、どうも朝、頭痛と吐き気で出勤もできないとか。
鬱病かなぁと言っていました。
専門医の診断は受けていないので、なんとも言えないのですが、可能性はあるなと思いました。
彼女は、学生のころからの付き合いなのですが、客観的に見て、気力、体力ともに脆弱なところが見受けられましたので、友人たちも腫れ物にさわるような感じで彼女に接していたのを思い出します。
私は、若いころ、自身が下手に丈夫なものですから、彼女が「頭が痛いから、今日は休むね」とか、「ちょっと辛いから、タクシー使おう。」とか、「電車だとすごく疲れるから、バスにしよう。予約すれば座れるし。」等の発言の意味がわかりませんでした。
と、いうか、軽蔑さえしていました。
もちろん、そういうことを口に出したり、態度に出すほど、愚かではありませんでしたので、可能な限り彼女の意志に沿うようにはしていましたが、電車に乗るのも嫌なのかと、本当にびっくりしたものです。
年をとるにつれて、個人個人、エネルギーのありようは違うということを学びました。
ですから、今は彼女が苦しんでいるのも理解できます。
辛い辛い。皆優しくない。私具合が悪いのに。私頑張っているのにと嘆いてました。
彼女の精神的、身体的エネルギーは非常に少ない。
少ないのに、現実の社会は、彼女のエネルギーの少なさを許容しないのだなぁと思いました。
少なくとも、彼女の話から、推察するような勤務態度では、業務を変更するか、会社を辞めないといけなくなるのでは?
と思います。
別に彼女は不真面目でも、頭が悪いわけでもなく、普通の女性ですが、現状を維持するには体力が足りないのね。ということです。
そういう彼女に対して、私ができることは、いいとこ、愚痴を聞く。くらい。
どうにもやりきれないところです。
私とて、自分のエネルギーが無尽蔵であるなどという幻想はないのですが、今の生活を維持できるくらいのエネルギーはまだ持ち合わせており、ひいてはそのおかげで、仕事を続けることができ、良い友人たちを己につなぎとめておけるのだと思えば、
今の体を与えてくれた両親に深く感謝せねばと思うわけです。
心身のエネルギーとは、通貨のようなものだと思います。
無尽蔵ではなく、やりくりしなければなりません。
どんなに多く持っていたとして、浪費は厳禁です。
また、もともとあまり持っていなかったとして、上手にやりくりすれば良く循環するものでもあります。
基本は、多かろうが少なかろうが、うまく循環させるもの。これも通貨とよく似ていますね。
まぁ人間社会の構造も、人間自体の構造も、そうは変わらないのかもしれません。
健康第一とは、蓋し至言であることだと思います。