勢いよく押すと、重いドアも裏側の壁にぶつかって跳ね返らんばかりに、大きく開いた。スニーカーの底のぬるっとした感触を懐かしく思いながら、無人のまま閉まりかけていたエレベータに滑り込む。扉がもう一度開くと、エントランスまで敷き詰められたモスグリーンのカーペットを数歩で蹴って、私は不発のままくすぶっていたライフルが不意に弾き出した玉みたいに、初夏の空気の中へと飛び降りた。
同じベッドの上で数日間眠り続けたせいで、しんと滞っていた血潮が今、大嵐の翌日の濁流並に激しく駆け巡り、沸騰し、上下の歯茎の中に説明しがたい不快感を巻き起こして、手入れの行き届いていない親不知は今にも浮き上がりそうで、私は駅までの最短コースを1km3分半の駿足で進みながら、ずっと顎を強く噛みしめていた。
道路工事の現場にさしかかる。茶髪にサングラスの女性交通整理員が、いぶかしげに見てる。"にこっ"と"にやっ"の中間くらいで笑って、軽く受け流す。こんな平日の昼下がりに、国道沿いを全速力で走っていれば、そんな風に見られることもある。濁った水路の淀みに、小さな鳥が浮かんでいる。名前もない夏草が、斜面一杯に揺れている。日は傾きかけ、人々は自転車か相応の乗り物を駆って、ずるずるとアスファルトを嘗めていく。ジオラマのように一定で、揺らぎのない風景。
これが郊外と、その人々と暮らしだ。
私の高い足音は、舗装の下に寝そべるまだ湿り気を持った土と呼応するようにアスファルトを振動させ、揺るがし、いつかガラガラと音を立てながら破壊して、その下に封印された全てのものを呼び覚ますだろう。好ましいものもそうでないものも、全てをだ。
国道と水路は終わり、パチンコ屋やドラッグストアの看板が標識のように手招きするエリアへと邁進する。
私はまだ、自分がどう感じているのかがわからない。感じていないということではない、それが実際にどういったものなのか、今までのやり方では説明できないでいるんだろう。言葉はある日真実を告げて、また次に出会った時には全くの虚構のためにある。「いつでも」「いつまでも」が本当だった試しはない。だから私が正確に伝達できるのは、今感じていることが全てだ。終わってしまえば、そこにはもう何もない。
場所がある。人がいる。当たり前でも何でもない。奇跡的なことだ。
そういうことだから、私は結局いぶかしげな交通整理員を気持ちよく納得させ、固く結ばれた眉根を解いてあげるためのものは何も持っていない。22年生きて伝わらずじまいのあれこれを、「誰かの迷惑にだけはならないように」ささやかな墓標の下へと葬るくらいしか脳はない。
そして私はただ、走り続ける。走り続けることで、また速くなる。新幹線と一緒だ。何が新幹線をそんなに速くするのか―
わからない。それでも、こんなに気がはやるのなら、理由は一つだ。