このブログは終活のひとつだ。
僕の体温のあるものを愛方に遺しておいたほうがいいと思って、今のここは『いつかの彼女のため』に続けている。
ながーい遺書のようなもの?笑
終活といえば断捨離だが、僕個人の買い物は家に動植物が来たときの用具くらいで、それ以外を新しく増やすことはそもそもほとんどない。
20代からの度重なる引っ越しで大切な物以外は手放してきたし、いま家にあるのはどれもこれも数十年連れ添ってきてくれた家具や雑貨を手入れして使い続けているものだ。
ホームセンターで買った家具なんかはボロボロだけど、貼ったり接いだりして修繕し、彼らも誇らしげに役目を果たしてくれている。
服も靴もほとんど買わない。
僕の体はひとり分しかないのだから、そんなにたくさんは要らない(笑)。
なので押し入れや天袋はいつの時代もスカスカだったりする。
出ているもの=普段から使うもので、使わないのにしまいこんでいるものはほぼ無いのだ。
僕はいつも愛方に、自分が死んだ後のことを話している。
僕がいなくなった世界で、彼女が困ることができるだけ少なくて済むように、少しでも穏やかに生きていけるように、僕が知っているできるだけたくさんのことを愛方にインストールするようにしている。
愛方もそれを『ふたりのこと』として、ちゃんと向き合ってくれている。
今僕が何でもしてあげて、愛方をぬくぬくお姫様扱いすることも実はできる。
でも僕は釣った魚を与えるより、魚の釣り方を教えることが愛だと思うタイプなので、そうしている。
死は誰にでも訪れるもので、「まさか」は有り得ないのだ。
だから我が家では悲観的でも後ろ向きでもなく、
「明日雨が降るかもしれないから、傘の用意をしておこう」
と同じ感覚で、昔からこういう話が日常にある。
あ、以下、こう書くとすんごい暗い子供の映像で想像されてしまいそうだけど、僕は対外的には超元気でいつもゲラゲラ笑っていてバカ代表として学級委員なんかやらされている、どちらかといえば《明るいクラスメート》のほうだったので、あまり神妙なテンションで読まないでくださいね(笑)。
ずっと死の気配が近くにある子供だった。
病弱なのもあったけれど、それよりもずっと「消えてしまいたいな…」って思っていた。
それが積極的な『消えたい』に変わったのは、小学5年生の頃だった。
しかし思い返してみれば、それとまったく同じタイミングで、行く先々に弱った動物たちを見つける人生が始まったのだ。
僕はその頃からこの歳まで、ほとんど全期間を途切れることなく生き物たちと暮らしているが、そのほぼ全てが通りすがりで保護した子たちだ。
彼らは、他にも気に止めてくれる人がいるような犬や猫よりも、さらにもっと声の小さな、人々は居ることすら気付かずに、談笑しながら横を通りすぎていってしまうような…。
皆、死にかけか、親に見捨てられてしまった子供か、はたまた種類も判明しない生き物か…みたいな状態だったので、出会いのときはいつもそれを抱えて試行錯誤のてんやわんやであった。
今と違ってネット情報もないし、餌を簡単に調達できるウェブショップもない。
野鳥のために、弟と一緒に桑の実を採りに行ったりもした。
弱っているから数日しか生きられなかったり、うまく育てられても鳥のヒナならば巣立ちまでのせいぜい数ヵ月しかなかったりな子たち。
障害の残る怪我をしている子や、いわゆるペット動物(フェレットやハムスターや文鳥やインコ)はずっと家にいてもらえたけれど、基本的には僕のところに居る動物たちは種を問わず、入れ替わりが激しかった。
だけど、それが本当に途切れずに、誰かしらがいつも必ず手元に居るのだ。
彼らの面倒を見ている間は、子供ながらに必死だった。
そして思う。
「こいつらが居る間は死ねないなあ」
救われてきたのは僕のほうなんです。
僕が救ったんじゃない。
僕はずっと動物たちに生かされてきているんです。
今の終活がこれ以上進まないのも、家に居る子らのおかげだ。
ましろはまだしも、亀やらカナヘビやら、ましてやいきなり増えた鉢植え(しかも草花ではなく樹木)やらを置いていかれたって、愛方が途方に暮れてしまうよね(T▽T)w
🌱🌳🐢🌲…(//▽//)…🐉🐉🐉🌱
まあ、これは今いる子たちと会う前から決めていること。
僕がいない世界でも愛方が生きていけるように、心づもりと準備は前もってきちんとしておく。
その上で、僕は彼女より1日は長く生きるつもりだ。
今居るみんなをひとりずつちゃんと見送って、最後に僕が逝く。
それで僕の使命は本当にハナマルで完遂、なんじゃないかな。
12/21
振:800
四:500
巻:500
棒:ーー
拳:300
12/22
振:ーー
四:ーー
巻:ーー
棒:ーー
拳:ーー
12/23
振:1,000
四:800
巻:1,000
棒:300
拳:300