これだけは知っておいて欲しいと、投稿した 浴衣の季節 / 着つけは、右手が懐に入るように。 わかっていらっしゃる方でも、「右前」と「左前」いう言葉が混乱している…、と実感しました@@;

 

「その着方間違ってます、それは右前です!」のような、指摘の言葉が違うことによって、間違いがさらに横行しているのが現状かもしれません。ほんと、ややこしい。

 

それはどこからくるのか…。

 

ひとつは「右前」と「左前」どちらから見ての「前」なのかということ。もうひとつは日本古来の「左上位」と現在の国際プロトコールの「右上位」の考え方の違いの周知不足のように思います。

 

ーーーーー

みぎ‐まえ【右前】‥マヘ

相手から見て右の衽(おくみ)を左の衽の上にして衣服を着ること。通常の和服の着方。右衽。

 

ひだり‐まえ【左前】‥マヘ

相手から見て左の衽(おくみ)を上にして衣服を着ること。普通の着方と反対で、死者の装束に用いる。ただし、女子の洋服類は左前に仕立てる。 物事が順調に行かないこと。運がわるくなること。経済的に苦しくなること。ひだりむき。本朝二十不孝「する程の事―に成て元手をへらし」。「―になる」

 

※広辞苑より※

ーーーーー

 

「右前」という言葉は、自分からみて右手側に持っていたの身頃が自分の身体に近くなる、手前にくるから「右前」なのです。自分の左手側に持っていた身頃が外側になるので、これを自分より前方の「前」と考えると左前という言葉の解釈になって混乱してしまう。。。

 

「右前」を 「みぎまえ」と読ませるのではなく「みぎさき」(弘前みたいに、「まえ」を「さき」と読ませる)と読んで、辞書も書き換えたらいい という意見をいただいたのですが、確かに、そのほうがわかりやすい。そういった発想もありかもしれません。
 
ちなみに、「右前」という言葉になったのは「右衽着装法」という法令が元になっています。
 
719年(養老3年)に元正天皇によって発令された衣服令から、着物の衿合せが統一されます。これが右衽着装法(うじんちゃくそうほう)といわれる法令です。続日本書紀に「初令天下百姓右襟」(天下百姓をして衿を右にせしむ) とあり、「天皇から百姓まで、衿合せは右衿を先にあわせなさい」という意。この衣服令を境として、着物は右前に着ることが習わしとなり、今に至っています。
 
そして日本は西欧化政策が起こる明治維新までは「左上位」の考え方でした。
「天子南面に座す」という言葉があります。天から認められた統治者である天子(すなわち皇帝、天皇)は不動の北極星を背にして南を向いて座るのが良しという意味です。そして天子からみると太陽は左の東から昇り右の西へ沈むことから、左上右下とされ、これを「左上位」といいます。着物だけではなく日常生活すべてにおいての考え方で日本家屋の障子や襖などもそうです。
 
ちなみに、西洋では「右上位」
右(right)に「正当な」という意味があるように、西洋では右上位の考え方です。現在の国際プロトコールは右上位ですので、例えばオリンピックのメダリストの壇上での位置は、金メダリストを中心として、右(向かってみると左)が銀メダリスト、左(向かってみると右)が銅メダリストとなっています。現代では天皇皇后両陛下の立ち位置も国際プロトコールに倣った右上位となっています。これが雛飾りの位置をややこしくしている要因でもあります。
 
左右対称の構造が着物の特徴ですが、それゆえに起こる問題。
着付けの表現としては、「左上」「右下」もしくは「右先」のほうが、わかりやすいかもしれません。
 
明治維新から今年は150年のアニバーサリーイヤー。
着物は遠くなりにけりです…ですが、情報化社会では誰もが伝える手段をもっています。
まずは多くの人が「着物や浴衣に慣れ親しむ」。これに尽きるのです。

 

:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

 

 Facebookページに「いいね!」をくださる皆さまありがとうございます。

相互交流までの余裕がなく心苦しく思いますが、励みになっております。
皆さまの寛容さと染織に対する好奇心が私の原動力です♡

 

「きものカンタービレ♪」のFacebookページ矢印