山里の古刹を巡る 長谷寺と国分寺 / 2017年GW 佐渡島の旅 9 のつづき^^/

 

江戸時代に日本の物資と文化を運び流通の大動脈となった海運業。大坂から瀬戸内海を経て日本海を経由し北海道松前へいく西廻り航路と津軽海峡を通って江戸へいく東廻り航路がありました。東廻りは黒潮に逆らって航海しなければならず西廻り航路が重用され盛んになります。西廻り航路の船を北前船といいます。このころの北前船は単に荷物を運ぶのではなく船主が商品を買ってそれを売買する商店のようなもの。江戸時代以前より越後の青苧は船で近江へ運ばれ後の近江商人の元手になったりしているので流通を把握することが染織の伝来経路を正確に把握する手掛かりともなりますが、それはまた別の話。北前船の船主としては、日本海上保険の創業者である右近家や日露交渉に貢献した高田屋嘉兵衛などが有名です。

 

佐渡金山の資料館で、佐渡国小木民俗博物館の千石船展示館には1858年(安政5年)に造られた船主加賀屋市三郎の幸栄丸を原寸大で復元した北前船があるとお聞きし行ってみることに♪

 

ジャーーーーーーーーーンビックリマーク

全長23.75mの千石船です。米が千石(2500俵)積めるという例えから北前船は千石船ともいわれます。…が、白山丸は500石までしか積めないのだそう。

高さは6.61m

上にある大きな柱がマストとなる全長22mの帆柱。

帆がついているのが帆桁。帆の大きさは21反、畳155畳分もあります。

立涌の柱のようなのは帆の上げ下げでつかうろくろ。

船は積荷が軽くなるとバランスがくずれてひっくり返ってしまうので帰りは御影石を積んで安定させたのだそう。帆が大きいので頭でっかちになってしまうのですね。

畳2畳ほどが船頭の部屋。船箪笥もありました。

中から顔をだしてみました♪

船尾にあるのが舵。

船の後姿はこうなっています。

舵で船の進む方向が変わっていくのですから当然なのかもですが、大きい!!

そして、北前船もカッコイイですが、船のドックの天井の湾曲線も美し〜い♡

 

白山丸は年に1度、白山丸祭で展示館から人力で曳き、帆をあげるのだそうです。

 

徳川幕府は鎖国政策のために、大型船の建造を禁じ、帆立てが1本の船の建造しか認めなかったといわれています。それゆえにこの形になったのだと思いますが(詳しいことは調べていないので不明)、この船も江戸時代という平和な時代がもたらしたまさに日本の美のひとつです。

 

2017年GW 佐渡島の旅レポはひとまずお仕舞といたします。

もしかしたら番外編があるかも…?

 

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