スケジュールが立て込んでおりまして、再びブログが渋滞しておりますあせる
毎日更新(時には日に2回)しているのですが、追いつかず(x_x;)

衣紋道高倉流 衣文はじめの儀 直会の宴
2013年大相撲初場所 まとめ記事
2013年大相撲 伊勢が濱部屋 打上式

リアルタイム記事を優先しつつ記事UPいたしますので、しばしお待ちくださいませm(_ _ )m

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NHK文化センター×美しいキモノのコラボ講座、
長崎巌先生の『Kimono Beauty展』に見る近代きものの変遷 の講座へメモ
きもの カンタービレ♪
『Kimono Beauty展』オープニングレセプションパーティーにて長崎巌先生とカメラ
きもの カンタービレ♪
『Kimono Beauty展』は江戸中期から昭和初期の200年にわたる、きものの美しさをを
時代の変遷とともに紹介している、きもの好きなら見逃せない展覧会です目

長崎先生の講義は、江戸中期以降の「小袖」と明治以降の「きもの」の両方が展示されて
いるのに、なぜ『Kimono Beauty展』なのか。「きもの」と「小袖」の違いは何か?
というお話からはじまりました。

「小袖」と呼ばれていたものは、元は労働を要する庶民階級の人が着ていた筒袖のついた衣服
のことであり、「大袖」と呼ばれる身体をつかって労働しなくても良い支配階級である平安貴族が
着ていた束帯や十二単に対する対比語。
支配する側は労働をしなくてもいいことを誇示。手足が動きにくいものを着る→大袖
支配される側は労働する為に動きやすいものを着る→小袖
武士が庶民から成り上がったときに筒袖であった小袖に袂をつけた。
これが今の「きもの」の原型となった「小袖」である。
公家から武士へ支配階級が代わると、実質的な着るものの主流が小袖となり、世の中の人が
着ている小袖が「着るもの」=「きもの」といわれるようになる。
武士も江戸城出仕や正月の儀式などでは、大袖の大紋や直垂を着ていたので、対比語
である「小袖」という言葉が生きていた。
桃山時代のポルトガル宣教師の報告書には、「小袖」のことが、「kirumono」「kimono」と
記述されている。

明治になり西欧化政策によって洋装化が進むと、大袖を着ていた階級の人や儀式、式典での
洋装化が進み(一部宮中では大袖がつかわれています)、対比語としての「小袖」はなくなる。
着るもの=「着物」となった。洋装は「西洋服」と呼ばれ、後に「洋服」、戦後には「服」となる。
「洋服」に対しての対義語としてつくられた言葉が「和服」である。

なので、小袖=きもの であり、『Kimono Beauty展』となったということ。

※簡単にまとめました。長崎先生より許可をいただいております。

『Kimono Beauty展』の展示のスライドを見ながらの詳細な説明もありました。
明治になって化学染料の普及とともに変わっていく、きもののお話、面白かったですビックリマーク
これらは、是非『Kimono Beauty展』をご覧になってみてくださいませ。
きもの カンタービレ♪
※『Kimono Beauty展』の撮影及び「きものカンタービレ♪」での掲載の許可を主催者さま
よりいただいております。

『Kimono Beauty展』に関しましては、こちらで↓レポさせていただいております。
「Kimono Beauty ~シックでモダンな装いの美~」展 at 千葉市美術館 その1
「Kimono Beauty ~シックでモダンな装いの美~」展 at 千葉市美術館 その2
「Kimono Beauty ~シックでモダンな装いの美~」展 at 千葉市美術館 その3

長崎先生のお話は、丸暗記でなく、なぜそうなったのか?を理解するためのポイントが詰まって
いるので、その後の勉強の道標になります。
私的には、ここから先に進めないのが…。う~ん(-"-;


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