「Kimono Beauty ~シックでモダンな装いの美~」展(~2月11日まで•展示替えあり)へカメラ
きもの カンタービレ♪

本邦初公開となる貴重なビゲロー•コレクションをはじめ、江戸中期の小袖からアール•デコ
の影響を色濃く受けたモダンな昭和初期のきものまでを中心として、帯や簪、当時の風俗を
描いた絵画などもあわせて約300点が展示されています。
どれもきもの好きには興味深いモノばかり。そして、展示の仕方がとてもわかりやすいひらめき電球
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まず眼に飛び込んでくるのは、右袖の花籠から牡丹の花と茎が溢れ垂れ下がっているという
左右非対称のインパクト大な寛文小袖の意匠形式を残した小袖

「白綸子地竹垣牡丹模様小袖」◇ボストン美術館蔵
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今展覧会の図録のカバーデザインにもなっていました。
ビゲロー•コレクションの中ではもっとも古い18世紀初頭の宝永•正徳頃のものだそうです。
寛文小袖のような大柄で伸び伸びとした意匠の訪問着をいつか誂えたいものです。←妄想
小袖文様からの意匠はあっても構図として大胆ながらも品があるものはまずないので…。
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友禅染の技法によって絵画的な意匠表現が可能になると風景模様が流行するようになります。
この小袖は染めでなく刺繍で名所図が表されている貴重なもの。
左「紺繻子地風景模様打掛」◇ボストン美術館蔵

絹縮とは緯糸に左撚りだけもしくは右撚りだけの強撚糸をつかって打ち込んで縦方向に
シボをだした夏の織物のこと。
夏の白地のきものなのに汗染みが残っていないビックリマーク素晴らしい保存状態でした。
図録には儀式の際に着用したと考えられるとあったので、ほとんど着ていないものかもしれません。
右「白絹縮地桜折枝檜扇模様単衣」◇ボストン美術館蔵
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どちらも綸子地に縫いと絞りの技術が駆使された、松に地紙の立ち木文様の婚礼衣裳。
打掛は小袖の上に打ち掛けて着る武家女子の礼服で、白赤黒が正式な色とされました。
曵裾の形を整える為の厚い裾綿が特徴。
江戸時代になると裕福な町人層が出現して婚礼衣裳として取り入れるようになります。
この二点は同じ模様であることから一組のうちの二領。※領(りょう)は装束の数詞

左「紅綸子地松笹扇地紙模様打掛」◇ボストン美術館蔵
右「白綸子地松笹扇地紙模様打掛」◇ボストン美術館蔵
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江戸時代後期に見られる絵画的意匠を友禅ではなく縫いで表現した打掛。

左「紺繻子地梅樹模様打掛」◇ボストン美術館蔵
右「白繻子地梅樹模様打掛」◇ボストン美術館蔵
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文様は几帳や熨斗の吉祥文様ですが、地色が随分と地味…汗でも婚礼衣裳なのだそうです。
化学染料が輸入された明治時代のもの。
後ほどでてきますが、この時代の打掛はシックというよりも暗い色が大ブームだったようです(゚_゚i)

左「浅葱平絹地梅樹几帳模様打掛」◇ボストン美術館蔵
右「鼠縮緬地孔雀熨斗模様打掛」◇ボストン美術館蔵
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この他にも素晴らしいきものが!ドキドキ 今展示会ではビゲローがボストン美術館に寄贈した133領
のきものの内、17領のきものが公開されています。これは見逃せませんビックリマーク

さて、『ビゲロー•コレクション』とは?
昨年東京国立博物館で開催された「ボストン美術館•日本美術の至宝」をご覧になられた方
も多いかと思います。
ボストン美術館の日本美術コレクションに貢献したのはモース、フェノロサ、そしてビゲロー。
ビゲローはボストンの医師で、モースの来日に同行し日本に約8年ほど滞在しました。
日本美術の発展に貢献し多くの美術品をコレクションしますが、きものをとくに好んだようで
染織関連品だけで1000点にものぼり、雛形本や帛紗、能装束、近世の舞楽や宮廷装束まで。
ビゲローの遺言によって門外不出とされ、その存在はほとんど知られていなかったそうですが、
長崎巌先生は長年その調査に関わられ、今展覧会を迎えることになったのだそうです。

撮ったつもりが消してしまったのか…、画像がありませんが、今展示会では、現存する最古の
小袖雛形本といわれる『寛文六年版「御ひいなかた」』が展示されていました(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)ビックリマーク
きもの文化検定の勉強をされている方には資料などでお馴染みだと思います。
現物を眼にするとやはり感動しますよ~\(゜□゜)/
ビゲローは日本の文化を心から愛し、日本国内では捨て去られていた文化財も収集したとの
ことでしたが、それ故に残ったものなのかもしれません。
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※図録「Kimono Beauty ~シックでモダンな装いの美 江戸から昭和~」

次は、江戸から明治まで時代の変遷とともに変わりゆく、きものをご紹介していきます。
あまり詳しくご紹介してしまうのも楽しみが半減いたしますので、触りだけを。
技法と身分の違いによるきものについてもチラッと。←この展示とキャプションも見所ひらめき電球

※展示会場の撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載許可を主催者さまよりいただいております。

リアルタイム記事を優先してあげていきますのでご了承くださいませ。

ちなみに今日1月7日は人日の節句。
もともとは中国のこの日に7種類の野菜をいれた羹(あつもの)を食べ無病息災を祈る習慣が
伝来したものですが、宮中行事にもある年のはじめに若草を摘んで新しい生命力を授かろう
とする若草摘みの習慣と結びついて七草粥となりました。
枕草子には6日若草摘みをした記述があることから、平安時代には6日若草摘みをし7日に
食されていたようです。
江戸時代には人日の節句として五節句のひとつとなり一般に定着するようになりました。
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