高桐院のお庭にて
大徳寺塔頭の中で一般に公開されている高桐院。
細川忠興が父細川藤孝(幽斎)のために1602年(慶長7年)に建立しました。
藤孝の弟である玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)が開祖です。
本堂庭園には忠興と妻であるガラシャの墓石である春日灯籠、興津弥五右衛門や
歌舞伎の始祖とされる出雲の阿国のお墓もあります。
高桐院の入口は松と苔の青々とした参道
表門を抜けると…
竹と紅葉のコントラストが美しい一直線の参道がつづいています
自然石の敷石道に紅葉が散っているのもまた良し
唐門の苔むした屋根にも紅葉がギッシリ
高桐院の中へ
客殿南庭は江戸時代初期につくられたもの
JR東海のCM「そうだ京都へ行こう!」でとても印象的だったお庭です。キャッチは、
「ここの紅葉は色だけじゃない、枝振りや散り方までしっかり眺めること。この国には
自然との接し方にもきちんとお作法があります。千利休と縁の深いお寺にて」
散り方を眺めながらお抹茶をいただくこともできます
お庭から散策してみましょう
熊笹に囲まれた袈娑形の下り蹲踞
加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰って細川忠興に贈呈したものなのだそう。
千利休の邸宅を移築した意北軒
床のお軸は大燈国師筆「関」、襖絵は狩野永真(探幽の弟)筆
二帖台目席の松向軒
細川忠興が手掛けた茶室。豊臣秀吉が1587年北野大茶会でつかったと伝えられます。
唐門の鍵の手のところは写真スポットとなっていて、むずかしい~( ̄_ ̄ i)
この一直線の参道での写真を撮りたかったのですが、人通りが絶え間なくつづいて、
これが精一杯でしょうか…(^_^;)
今回の京都入りの主目的は、ある会への出席。
ゆっくりと紅葉を眺めていたいですが、ホテルにチェックインして訪問着へ着替えます。
京都レポ、しばらくつづきます。
東京国立博物館のレポはその後に。
大徳寺塔頭の中で一般に公開されている高桐院。
細川忠興が父細川藤孝(幽斎)のために1602年(慶長7年)に建立しました。
藤孝の弟である玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)が開祖です。
本堂庭園には忠興と妻であるガラシャの墓石である春日灯籠、興津弥五右衛門や
歌舞伎の始祖とされる出雲の阿国のお墓もあります。
高桐院の入口は松と苔の青々とした参道
表門を抜けると…
竹と紅葉のコントラストが美しい一直線の参道がつづいています
自然石の敷石道に紅葉が散っているのもまた良し
唐門の苔むした屋根にも紅葉がギッシリ
高桐院の中へ
客殿南庭は江戸時代初期につくられたもの
JR東海のCM「そうだ京都へ行こう!」でとても印象的だったお庭です。キャッチは、
「ここの紅葉は色だけじゃない、枝振りや散り方までしっかり眺めること。この国には
自然との接し方にもきちんとお作法があります。千利休と縁の深いお寺にて」
散り方を眺めながらお抹茶をいただくこともできます
お庭から散策してみましょう
熊笹に囲まれた袈娑形の下り蹲踞
加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰って細川忠興に贈呈したものなのだそう。
千利休の邸宅を移築した意北軒
床のお軸は大燈国師筆「関」、襖絵は狩野永真(探幽の弟)筆
二帖台目席の松向軒
細川忠興が手掛けた茶室。豊臣秀吉が1587年北野大茶会でつかったと伝えられます。
唐門の鍵の手のところは写真スポットとなっていて、むずかしい~( ̄_ ̄ i)
この一直線の参道での写真を撮りたかったのですが、人通りが絶え間なくつづいて、
これが精一杯でしょうか…(^_^;)
今回の京都入りの主目的は、ある会への出席。
ゆっくりと紅葉を眺めていたいですが、ホテルにチェックインして訪問着へ着替えます。
京都レポ、しばらくつづきます。
東京国立博物館のレポはその後に。