工房見学は、まずは川島織物さんから
京都駅から車で40分ほどの洛北の地にあります。
以前からお伺いしたいと思ってはいたものの、遠い遠い…。
まずは緞帳が織られている工房見学から
川島織物さんの緞帳製作は、明治26年(1893年)歌舞伎座(京都南座)の平安神宮大極殿の図の
刺繍引幕に始まります。
その後、日本を代表する劇場、ホールの緞帳製作に力を入れられていて、川島織物さんの代表的な
お仕事の一つとなっています。
2013年春完成予定の歌舞伎座の緞帳、4つのうち3つは川島織物さんで製作されているとのこと。
そのうちの第3緞帳の製作現場をみせていただきました。(撮影禁止なので写真はありません)
緞帳製作の工房は天井が高い吹き抜けになっていて、2階の回廊から現場を見ることができます。
28.4m×7mという大きさで、1枚ものとしては織れないのだそう。圧巻ですヽ(゚◇゚ )ノ
※綴織は織ると縮むので織下絵は大きく描かれています。しかも左右反転しています。
工房の中が広いので、音声ガイドのようなものをつけてます。
この花織風のきもの、雨の日でも気兼ねなく着られるように単衣で仕立ててあるのですが、
シワがすごくつきやすいのが難点…(ノ_-。)
綴帯を織られているところ、ジャガード機で袋帯を織られているところも、駆け足でしたが
見せていただけました。
伊勢神宮の遷宮にお納めするものも織られていましたが、こちらは作業の方以外は近づけない
とのことで、川島織物の社員の方でも立ち入り禁止なのだそうです。
隣接している織物文化館へ
こちらは国内では最も古い企業博物館です。
初代川島甚兵衛、二代甚兵衛が世界各国から蒐集した古代裂、名物裂やコプト裂などや装束、小袖、
綴れ技法を駆使して織られた写実的ともいえる室内装飾画、御料車の室内装飾(見ごたえあり!)
御料車に三種の神器をおくところがあるのには驚きました(ノ゚ο゚)ノ
オランダハーグ平和宮殿の室内装飾、ニコライ2世来日時にまつわる、さまざまなものも。
この日は、綴織の原型ともいえるコプト織の裂が展示されていました。
織物文化館の建物に入るとすぐ左手には1枚の切断されてしまった壁掛けがあります。
これにはこんな逸話が…。(ヒストリア風に♪)
1920年代は堅牢度が強いドイツの化学染料をつかっていましたが、第一次世界大戦に突入してしまい
染料が不足してします。
宮内庁からの依頼を受け明治宮殿に納めるために製作中だった壁掛けも製作途中で職人が見なければ
わからない程度とはいえ染め斑ができてしまいました。
やり直すかそのままつづけて納品するか、3代川島甚兵衛の妻は(夫の甚兵衛は亡くなっています)
悩んだ末、真夜中誰にも言わず独断で経糸を切ってしまいました。
後日、不良染料をつかって染め斑ができたことを宮内庁に申告したことにより、納期が延ばされ
改めて製作したものが無事に納められたそうです。
このエピソードは『妥協を許さないモノつくりの精神』として、切られた壁掛けと共に語り継がれています。
今では呉服関係よりもインテリア部門のほうが大きな仕事のようですが、根底にあるものを大切に
その技術も精神も伝えていって欲しいです。
京都駅から車で40分ほどの洛北の地にあります。
以前からお伺いしたいと思ってはいたものの、遠い遠い…。
まずは緞帳が織られている工房見学から
川島織物さんの緞帳製作は、明治26年(1893年)歌舞伎座(京都南座)の平安神宮大極殿の図の
刺繍引幕に始まります。
その後、日本を代表する劇場、ホールの緞帳製作に力を入れられていて、川島織物さんの代表的な
お仕事の一つとなっています。
2013年春完成予定の歌舞伎座の緞帳、4つのうち3つは川島織物さんで製作されているとのこと。
そのうちの第3緞帳の製作現場をみせていただきました。(撮影禁止なので写真はありません)
緞帳製作の工房は天井が高い吹き抜けになっていて、2階の回廊から現場を見ることができます。
28.4m×7mという大きさで、1枚ものとしては織れないのだそう。圧巻ですヽ(゚◇゚ )ノ
※綴織は織ると縮むので織下絵は大きく描かれています。しかも左右反転しています。
工房の中が広いので、音声ガイドのようなものをつけてます。
この花織風のきもの、雨の日でも気兼ねなく着られるように単衣で仕立ててあるのですが、
シワがすごくつきやすいのが難点…(ノ_-。)
綴帯を織られているところ、ジャガード機で袋帯を織られているところも、駆け足でしたが
見せていただけました。
伊勢神宮の遷宮にお納めするものも織られていましたが、こちらは作業の方以外は近づけない
とのことで、川島織物の社員の方でも立ち入り禁止なのだそうです。
隣接している織物文化館へ
こちらは国内では最も古い企業博物館です。
初代川島甚兵衛、二代甚兵衛が世界各国から蒐集した古代裂、名物裂やコプト裂などや装束、小袖、
綴れ技法を駆使して織られた写実的ともいえる室内装飾画、御料車の室内装飾(見ごたえあり!)
御料車に三種の神器をおくところがあるのには驚きました(ノ゚ο゚)ノ
オランダハーグ平和宮殿の室内装飾、ニコライ2世来日時にまつわる、さまざまなものも。
この日は、綴織の原型ともいえるコプト織の裂が展示されていました。
織物文化館の建物に入るとすぐ左手には1枚の切断されてしまった壁掛けがあります。
これにはこんな逸話が…。(ヒストリア風に♪)
1920年代は堅牢度が強いドイツの化学染料をつかっていましたが、第一次世界大戦に突入してしまい
染料が不足してします。
宮内庁からの依頼を受け明治宮殿に納めるために製作中だった壁掛けも製作途中で職人が見なければ
わからない程度とはいえ染め斑ができてしまいました。
やり直すかそのままつづけて納品するか、3代川島甚兵衛の妻は(夫の甚兵衛は亡くなっています)
悩んだ末、真夜中誰にも言わず独断で経糸を切ってしまいました。
後日、不良染料をつかって染め斑ができたことを宮内庁に申告したことにより、納期が延ばされ
改めて製作したものが無事に納められたそうです。
このエピソードは『妥協を許さないモノつくりの精神』として、切られた壁掛けと共に語り継がれています。
今では呉服関係よりもインテリア部門のほうが大きな仕事のようですが、根底にあるものを大切に
その技術も精神も伝えていって欲しいです。