皆々様方、ごきげんよう。
さて、前回までは「廷臣八十八卿列参事件の末裔・七卿落ち・天忠党支援者を深堀りする」
これらを紹介してきました。
今回からは
参考資料はコレの中からそれぞれを深堀りいたします。
中山忠親の家系図 | 系譜で辿る日本史
中山家(羽林家) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~
大日本皇道立教会 - Wikipedia
これに名前が載っている人物達。
その子孫達は現在どうなっているのか?
見ていきましょう。
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◆4代 久邇宮邦昭王 3代朝融王の子
1929年生
久邇邦昭 - Wikipedia
久邇邦昭は、昭和4年(1929年)に東京で生まれ、学習院初等科から海軍兵学校を経て、学習院大学政治経済学部を卒業した。昭和22年(1947年)に連合国軍占領下で皇籍を離脱し、川崎汽船で取締役を務めた後、伊勢神宮の大宮司や神社本庁統理などを歴任した。雅楽を学ぶため武蔵野音楽大学に入学し、卒業している。香淳皇后の甥であり、明仁上皇の従兄に当たる。皇位継承問題が浮上する中、その存在が注目されることがある。
1944年

1993年

■妻 弘世正子 財閥弘世現の娘
1937年生
1957年


弘世現 - Wikipedia
日本の実業家、日本生命社長。同社の「中興の祖」と呼ばれた弘世助太郎の娘婿。
三井合名会社理事・成瀬隆蔵の六男として、東京市麴町区(現・東京都千代田区)に生まれる。成瀬家は二条関白藤原良基の末裔で、尾張犬山城の城主だった成瀬隼人正を先祖とする門閥である。隆蔵の長男の成瀬達は日本生命4代目社長、三男の成瀬雄吾は第一火災海上社長を務めた。
現は、初等科から高等科まで学習院に学び、1928年(昭和3年)東京帝国大学経済学部卒業後、三井物産に入社[3]。同年日本生命社長・弘世助太郎の婿養子となる。弘世家は嵯峨源氏の流れを汲むとされており、旧彦根藩の御用商人であった。
浅利慶太や石原慎太郎のスポンサーとなり、日生劇場が生まれている。 1983年から96年まで、松下幸之助の後任として伊勢神宮崇敬会第4代会長を務めた。また朝日放送、近畿日本鉄道、髙島屋などの取締役も担った。
源太郎 - 長男。日本生命元常務。44歳で死去。妻は松方正義の曾孫・信子。
晃嗣郎 - 源太郎の長男。三井史子(旧男爵松坂三井家三井高周(三井石油開発監査役)娘)の夫
●長男 久邇朝尊
久邇朝尊 - Wikipedia
三菱商事ファイナンシャルサービス株式会社アカウンティングセンター長に就任、2015年(平成27年)には同社監査役に就任した。2018年(平成30年)、株式会社メタルワン監査役に就任し、2021年(令和3年)6月まで務めた。2022年(令和4年)7月5日、自身の再従弟にあたる今上天皇の勅裁を得て、小松揮世久後任の伊勢神宮大宮司に就任した。同月、日本会議顧問に就任。
●二男 久邇邦晴 大手重機メーカー勤務。
●長女 久邇晃子 精神科医

久邇宮邦昭王の娘
