昨日の新聞耕論コーナーに「お酒とどうつき合う?」というのがありました。
とても興味深く、漫画家さん、医師の方、そして萬田久子さんの記事を読みました。
萬田久子さんのお酒好きは有名で、以前萬田久子さんの面白い記事を紹介した自分のブログがあります。
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萬田久子さんの「朝シャン」は朝のシャンプーではなく「朝のシャンパン」
今回もこのことが書いてあって、前回の記事を読んでいなかったのか(?)
夫が昨日の帰り道「今日の新聞の萬田久子の記事読んだ?無茶受けるよね朝シャン」って大爆笑していました。
そんな萬田さんですが、お酒に別れを告げて3年目に突入だそうです。
こ.こ.これは...私にも「禁酒」や「減酒」ではなく「断酒」をしなさいって神様からの忠告か?って思ってしまいました。
私がなんでこんなに「お酒」に対して拘るのか...
お酒のせいで病気にもなっていないし、罪を起こしたわけでもないんですが...
おそらく父の事があるからだと思うんです。
32年前に亡くなった私の父はおそらく「アルコール依存症」だったと思います。
病院でそのように診断されたわけではないのですが、病気で入院している時以外は毎日お酒を飲んでいました。
お酒に酔うと、母への暴力もありました。
会社に行く振りをして、どこかで飲酒して酔いつぶれていたこともありました。
私の結婚が決まった頃にはさすがに「私の結婚の障害」になっては駄目だと思ったのか、かなりセーブしてくれていたと思います。
でも色々あって、私の中には「お酒=怖い」ってイメージが頭にあるんだと思います。
そんな父親を見ていたのに、自分もビール大好きになってしまって。
凄いつらい時期(夫婦関係の危機)にはお酒に頼ってしまい、休日は朝から飲んでしまった時期もあります。
「こんなにお酒を飲んじゃうのはお父さんの霊が私にのりうつってる?」って思ったこともあります。バカですね....
どこか身体&精神の為にお酒は節制したほうがよいと自分で諭しているんですね。
多分...
萬田さんは―
『ある時ふと、お酒が私の時間を「支配」しているようで、キライになった』そうです。
私の好きな翻訳家・エッセイストの村井理子さんも大酒豪でしたが断酒されました。(2018年の記事だったので今はどうかわかりませんが)
断酒の理由が『「もったいない」という気持ちからきている。』と書かれていました。
ここに村井理子さんの断酒への思いを一部抜粋します。
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朝、目覚めた時の気分の良さと、しっかりと睡眠を取った体の安定感にどっぷり浸っているのだ。少しでもそのバランスが崩れるのは、もったいないと思ってしまう。二日酔いは、二度とゴメンだと思ってしまうのだ(いや、そこまで飲まなくてもいいのだけれど、適量で止められるような私ではなかった)。もちろんお酒の楽しさはよく知っているし、適度に飲んでリラックスした時の穏やかな気持ちは、なんとも素晴らしいものだ。素晴らしいのだが、それでも今の私は、お酒ではなく、健康な人であれば普通に得られるであろう安定した体の状態に酔いしれている。
今の私には一日が以前の倍ほどの長さに感じられている。特に夜が長く、読書をする時間が確保されたのはうれしいことだ。家の中が片付き、物が少なくなった。洗濯物が溜まらなくなった。庭の雑草が伸びなくなった。冷蔵庫が食べ物でぎゅうぎゅう詰めにならなくなった。思考を重ねる時間も増えた。殆ど下らないことだが、少しは真面目なことも考えるようになった。以前よりも原稿を書けるようになってきている。それと同時に、インターネットからは少し距離を置きはじめているのだろうとも思う。より目の前の、より身近な世界に集中しはじめたのかもしれない。自分としては、とても大きな変化だ。これから先、どうなるのかなんて一切わからないけれど、それでも、自分の生き方が徐々に変わっていくのは愉快で楽しいことだ。そして何より、子どもとの関わりが増えたことを喜んでいる。自分にもそんな一面があったのかと驚きだ。
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これを読むと「成程ね」って思います。
つい気のゆるみで今は禁酒から減酒にしていますが、やっぱり断酒をしなきゃって思いました。
こんなことの繰り返し。
いつか酒飲みだった父の亡霊からさよならしたい。