かっこちゃんの心温まる話(雪絵ちゃんの願い Part1) | 脳内出血を起こし障害者になりましたが、残りの人生楽しんでいきます

かっこちゃんこと山元加津子さんは石川県の特別支援学校で働いています。

私の娘もI大学の教育学部 特別支援教育コースで学んでいますが、特別支援学校には行かないと話しています。

それくらい大変な職場なのだと思います。

かっこちゃんはその中から本当に心温まるお話を教えてくれます。

会ったことは無い女の子(雪絵ちゃん)ですが、私はこの女の子は天使の心で話をするみたいに感じます。

とても長いですがかっこちゃんの頁から転記します。

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雪絵ちゃんの話をします。雪絵ちゃんと出会ったのは病弱養護学校という養護学校でした。病弱養護学校というのは、心臓病だとか、喘息だとか、ネフローゼだという慢性の病気を持っておられて、地域の学校に通うことが難しいお子さんが通っておられる学校なんですね。そこで雪絵ちゃんと出会いました。

 雪絵ちゃんはMSという名前の病気を持っておられました。MS,別名多発性硬化症という病気です。どんな病気かというと、熱が出ると、目が見えなくなったり、手や足が動かしにくくなるという病気なんです。見えないまんまかとか動かしにくいまんまかというと、そうではなくて、訓練をしている間に、だんだん見えるようになったり、動くようになったりするんですけれど、でも、発熱する前のところまで回復するというのは難しいので、だんだん見えなくなったり、だんだん動かなくなっていくという病気です。それから見えないまんまということもあるし、動かないまんまということもあるんですね。だから、私は雪絵ちゃんはどんなに再発するたびに、どんなに怖いだろうと思うのにね、雪絵ちゃんはいつもいつもね、とても元気に立ち直るんですね。

 雪絵ちゃんは空から降る雪に、絵と書いて雪絵と言います。雪絵ちゃんは1228日生まれ、雪の降ったきれいな朝に生まれた女の子なんですね。

 雪絵ちゃんは多発性硬化症、MSという病気を持っていたわけですけれど、雪絵ちゃんは口癖のように「私はMSであることを後悔しないよ」と言いました。「MSである雪絵をそのまま愛しているよ」と言いました。

「どうして?」と聞くと、

「だってね、MSになったからこそ気がつけたことがいっぱいあるよ。もしMSでなかったらその素敵なことに気がつけなかったと思う。私は、気がついている自分が好きだからMSでよかった」と雪絵ちゃんは言うんです。

 そしてね。MSになったからこそ出会えた大好きな人が周りにいっぱいいるよ。かっこちゃんにも会えたしね。もしMSでなかったら違う素敵な人に会えたかもしれないけれど、私は今周りにいる人に会いたかった、かっこちゃんに会いたかったから、これでよかったよ。目が見えなくなっても、手や足が動かなくなっても、息をするときに、人工呼吸器をつけなくてはならなくなっても、私はMSであることを決して後悔しない。MSの雪絵な丸ごと愛しているって。

 そういうふうに言い切る雪絵ちゃんはなんて素敵なんだろうと思います。その雪絵ちゃんが、言っていることとか、それから、話してくれていることとか、書いてくれていることとか、素敵なことがいっぱいあって、私はいつも、雪絵ちゃんから元気や勇気をいっぱいもらうなあと思います。これは幸せ気分という雪絵ちゃんの書いた本なんですけれど、ここから少し紹介させていただきます。

ありがとう

ありがとう、

私決めていることがあるの。

この目が物をうつさなくなったら目に、

そしてこの足が動かなくなったら、足に

「ありがとう」って言おうって決めているの。

今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、

私を喜ばせてくれたんだもん。

いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。

夜の道も暗いのにがんばってくれた。

足もそう。

私のために信じられないほど歩いてくれた。

一緒にいっぱいいろんなところへ行った。

私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。

なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき

「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。

今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。

だからちゃんと「ありがとう」って言うの。

大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから

「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。

たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うので……。

 とこんなふうに続いていくんですけれどね、私ね、なんてすごいんだろうって思ったんですね。だってね、たとえば、私、山の方に住んでいるんですけれどね、車がないとね、どこにも行けないんですよね。お買い物にも行けないし、学校にも行けないし。でもね、あるとき、参観日の大事な日なのに、車が途中でとまっちゃったんですよね。それでね、どうして、こんな大事な日にとまっちゃうのよ。新しいのに買い換えちゃうからね、って車に言ったんですね。私はそのとき、雪絵ちゃんのありがとうの詩を思い出しました。私は車がなかったらどこにも行けないんですね。毎日毎日運んでくれているのに、ありがとうって思ったことがあっただろうか?それなのに、私は動かなくなったら、「なんでよ」なんて思って、おまけに、私がガソリンをちゃんと入れてなかったからだったんですよね、それなのに、車を責めている私ってなんだろうってそんなふうに思いました。

 それから雪絵ちゃんは「よかった」「よかった」って言うんですね。どんなときも「よかった」「よかった」って。私が毎日毎日、雪絵ちゃんにあったことをね、メールとか会ったりとか、FAXとか電話とかで言うんですね。そうすると、雪絵ちゃんはどんなときでも、「よかったね」って言うんですね。

 たとえば、「私ね、今日、車ぶつけちゃったの」って言ったらね、雪絵ちゃんがね、「よかったね」って言うんです。

それでね、私が「どうして?」って。

 そのとき、私、車買ったばっかりのときだったのにね、バックしてね、自分の家の塀にばーんとぶつけちゃったんですね。

本当にね、最初に運転をしたときだったから、雪絵ちゃんに「大ショック」って言ったら雪絵ちゃんが「よかったね」って。

「だって私、ぶつけちゃったんだよ」って言ったらね、雪絵ちゃんがね、「かっこちゃんぴんぴんしてるじゃない。かっこちゃん、少しぶつけといた方がいいよ。そうしたら後ろ向いて、ちゃんとバックするようになるから」って。

そう言われたら、本当にちゃんとバックするとき、後ろ見てなかったわと思いました。そのあと、本当にね、ちゃんと後ろ見るようになってね、よかったなって思ったんですよね。

もし、それが、人のおうちの塀だったり、人の車だったら大変だし、まして誰か人をひいてしまったら大変だったのに、あれから、私、ちゃんと後ろ向いてからバックするようになったもんと思って、本当に雪絵ちゃんの言うとおりだなあというふうに思いました。

 それからあるとき、国語の先生の会の集まりのときに、お話しさせていただいたことがあったんですね。で、私が自分の学校の子ども達が大好きなように、その先生もご自分の生徒さんが大好きなんだと思います。こんな質問をされました。「どうして、日本という国は、障害を持っていて、国にあまり役に立たない人のためにお金を使うんですか? 障害を持っている人は十分な栄養と睡眠さえ与えておけば、大丈夫なんじゃないんですか?」っておっしゃったんです。「私たちは高校のみんなにたくさん本を買ってあげたいのに、なかなかね、買ってあげるお金をもらえない。国のために役に立つ高校生にお金を使ったらいいと私は思うんだけど、どう思われますか?」っておっしゃったんですね。

 で、私は、なんてことをおっしゃるのだろうと思ってね、あの、子ども達はお勉強したりするのが大好きだし、それに、子ども達がいることで、みんなはいっぱいいろんな大切なものに気がつけたりできるのに、と思って、一生懸命「そうじゃないんですよ」って講演会でお話しさせていただいて、帰ってきて、でも、私ちょっときっと怒っていたんだと思います。それで、帰って来て、雪絵ちゃんに会うなり、雪絵ちゃんに、「今日ね、あのね、すごく腹が立ったことがあったんだよ。高校の先生がこんなふうに言ったんだよ。私、星雄馬のお父さんだったら、机ひっくり返しているかもしれない」って言ったんです。

 雪絵ちゃんが「その人、質問してくれてよかったね」と言いました。

 また雪絵ちゃんの“よかったね”が始まったと思って、

「どうして?」って聞いたらね、

「かっこちゃんはね、毎日のように障害を持っている人と一緒にいるから、障害を持っている人がどんなに大切で、そして、どんなに素敵かを知ってると思う。でもね、社会の人は知らない人がほとんどだよ。その会場にいた人も知らない人がいっぱいいたと思う。でも、その女の先生が質問してくれたおかげで、かっこちゃん、一生懸命『そうじゃないよ』ってしゃべったんでしょう?それを聞いた人たちが、ああそうかって、思ってくれた人がきっと何人もいるよ」って言ってくれたんですね。

 本当だと思って、ああよかった、その人ね、質問してくれて、ありがとうというような気持ちに変わったので、不思議だなあと思うんだけど、雪絵ちゃんはとにかく、どんなときにも「よかったね」「よかったね」っていう人でした。

三年か四年くらい前の夏でしたけれど、雪絵ちゃんがある日ね、「かっこちゃん、私疲れちゃった。らくになりたくなった」って言ったんです。

らくになりたいって死にたいってことかなってちょっと思ったけど、そんなこと私、言えないしね、だってそのときの雪絵ちゃんは、もう指一本、動かすことができない状態になっていたんですね。おしゃべりすることはできたけど、指一本動かない、どんなにつらいことかわかっていたので、どうしよう、なんて答えようと思っていたのです。

 

 雪絵ちゃんは、「あ、かっこちゃんはまさか私が死にたいとでも思ったと思った?そんなこと、思うはずないでしょ?」って言いました。

「よかった」って思ったんですけど、雪絵ちゃんが、「私ね、やっぱりね、どこも動けないとやっぱり疲れちゃうんだよね。暑いから扇風機つけてほしいなあと思っても、人に頼まなくちゃいけないし、身体が冷えてきたから、扇風機止めてほしいと思っても、人をね、呼び止めて頼まないといけないし、それに、動かないけど、痛むし、それに動かないけど、かゆくなったりもするんだよねって。だから、元気になりたいから、なんか元気になる話をして」と言いました。

私は「まかしといて」って言って、そのときに、こんな話をしたんです。

私はそのときに、ああ、こんなことがあるんだと思って、すごくうれしかったテレビの話なんですけどね、みなさんにもさせていただいたいと思うんです。

 NHKの人体Ⅲっていう番組がね、昔あったんです。みなさんご存知でしょうかね、遺伝子というね、そういうものを扱った番組だったんですね。私はその番組がすごく好きだったんですけど、その中であの、わあ、うれしいと思ったことがあったんです。

 どんなことかと言うと、アフリカのある村で、マラリアが大発生するですね、マラリアって、けっこう、怖い病気で、どんどんどんどんその村の人がね、死んでしまうんです。どんどんどんどん死んで、その村が絶滅してしまうんじゃないかってそう思ったのに、絶滅しなかったんです。なぜかというと、マラリアにかからない人がいるということがわかったんです。で、いったいどんな人がかからないんだろうなって思って、お医者さんとか、科学者の人が血を採って調べたんですね。そうしたら、あることがわかったんです。私たちの多くの人たちの赤血球は、ハンバーグをつぶしたような形をしているんですね。けれども、お月さまみたいな鎌状赤血球って言うんですけど、草を刈る鎌みたいな形をしている鎌状の赤血球を持っている人はマラリアにかからないということがわかったんだそうです。それで、さらにお医者さんは、鎌状赤血球を持っている人の兄弟を調べられたんだそうです。で、鎌状赤血球を持っている人の兄弟に、集まってくださいと言って、その村の人に集まってもらって、その人たちの血液を調べたんですね。あ、血液は鎌状だった。ごめんなさい。とにかく、集まってくださいと言ったときに、鎌状赤血球を持っている兄弟のうちの1/4の人は、鎌状赤血球を持っていて、障害も持っているということがわかったんだそうです。そして、鎌状赤血球を持っている兄弟の人の2/4の人、この人たちは、鎌状赤血球を持っていて障害はないということがわかったんだそうです。そして残りの1/4の人は、えっと鎌状赤血球も持っていない。障害もないということが分かったんですね。で、マラリアがばーっと大発生したときに、この人は鎌状赤血球を持っていないので亡くなってしまいます。で、生き残るのは、この3/4の人なんですね。

で、人体Ⅲという番組は、柳澤桂子さんとか、それから立花隆さんとか、養老孟司さんとか、科学者の人がたくさん出ておられる科学番組なんですけどね、その人達が、こんなふうにおっしゃいました。「この村を救ったのは、この鎌状赤血球を持っていて、障害のない2/4の人たちである。けれども、この2/4の人が、ここに存在するためには、この1/4の障害を持っている人たちが、存在しなければ、この2/4の人たちは決してここに存在しないのだ。たとえば、障害を持っている人はいらないんだと思って切り捨てていっていたら、けっして、この2/4の人たちは生まれていなかっただろう」っておっしゃるんですね。「しいていえば、この村を救ったのは、この1/4の障害を持った人である」とそんなふうに人体Ⅲでは言っていました。

続く・・