1999年の秋「北海道を世界的なワイン産地にするために自分を雇ってほしい」と手紙を出し、2000年1月13日に初めて北海道ワイン株式会社を訪れて嶌村彰禧社長、公宏副社長(当時)にお会いした日のことを書きます。


↑こちらもご覧くださると嬉しいです。北海道ワインに入社後に2001年に日本ソムリエ協会の機関誌に掲載された私の寄稿です。


お昼頃の電車で南小樽駅に着いた私を、人事担当の常務自らが車で迎えに来てくださり、松が枝の食堂で味噌ラーメンをご馳走になりました。
豚肉ともやしを炒めた具材の上に刻み海苔がのせられた熱々の湯気、周囲の雪景色と仙台とは違う冷たく乾燥した空気に触れてから素朴な食堂で食べたこの味噌ラーメンの味はいまも忘れられない思い出です。

松が枝から「さんきゅうさん」に入り、それが国道393号線のことでまだ途中までしか開通していないのだと聞きながら、民家も何もない山道のカーブを車が登って行きました。

着いたよと言われて、雪山のなかにとても小さな建物があり、受付の奥から淡い黄色のセーターを着られた副社長が優しい笑顔と言葉で迎えてくれました。
応接室に通され、いよいよ嶌村彰禧社長と初対面。体格も大きくてものすごいオーラがあり、話の内容は全くわからなかったのですがカリスマ性を感じさせ、エネルギッシュに話し続けるパワーにも圧倒されました。

工場長にワイナリーを案内され、外観からは予想もつかないほどの規模と設備に驚き、売店でその後に上司となる方にさまざまなワインをテイスティングをさせていただきました。
ホテルマンから転職してここに来ること、知り合いもおらず住むところも給料もわからないけれどもそんなのはどうでも良く、自分の人生を自分で拓いていくこと、北海道に住むことを楽しみに感じながら車で駅まで送っていただきました。

たしかその日は小樽に泊まって翌日に仙台に帰ったはずですがその記憶はなく、一方で初めて北海道ワインを訪れた日のことだけは風景もお会いした方々との会話もラーメンの味わいに至るまで鮮明に覚えているのが不思議です。

昨日の朝に何故か思い出し、ちょうど25年前のことだったことに運命のようなものを感じました。
当時から北海道が世界的なワイン産地になるという確信と、自分がその一端を担い「誠実に、積極的に責任を持とう」(北海道ワイン株式会社の社是)を全うしたいと気持ちを新たにしました。

初心忘るるべからず。四半世紀が過ぎても驕らず謙虚に、感謝の心を持って歩んでいきたいと思います!