はじめに

 雄大に広がる北海道の大地。澄み切った空気、からりとした気候、さんさんと降り注ぐ太陽、そして豊かで清らかな水。この地こそ、優良ワインの産地として無限の可能性を秘めた宝庫です。北海道は梅雨や台風の心配のいらない日本でも唯一の地域です。そうした点からも、ここはワイン用ぶどうの栽培にまさに最適の大地です。

 この北の大地で「ワインづくりは葡萄づくり」として、本物の国産ワインを造る「北海道ワイン株式会社」に私が入社してから早くも1年が過ぎました。前職は仙台市のホテルのソムリエでしたが、その私が北海道ワイン株式会社にやって来て体験したこと、驚きや感動の数々を、今号から3回にわたって掲載します。

 

北海道産100%との出会い

 1999年秋、仙台市でのこと。初めて入った酒販店で、1本の白ワインとの出会いがありました。その酒販店は自宅の近くにありながら、それまで入ったことのない店でした。どちらかというと、日本酒にこだわりのある雰囲気が感じられていたのですが、酒質を吟味したものを正直に売りそうな店構えです。そこの冷蔵ケースで、ふと目に留まったのが「北海道の詩」というラベルのついたワインでした。さほど大きくない店内ですから、お店の方が声をかけてきます。お店の方に勧められたそのワインは、価格も手頃で「一度試してみよう」という気持ちになれるものでした。

 

 それまで私がもっていた国産ワインのイメージといえば、飲むのが恥ずかしいもの、輸入ワインとブレンドして造った偽物という印象しかなく、自分が勤務するホテルでも国産ワインは扱っていませんでした。

 そのワインを携えて家に帰り、あらためてよく見て、さまざまなことを感じました。白いすりガラスのボトルに淡い色使いでぶどうが描かれたそのラベルには、ヴィンテージ、ヨーロッパ系品種名が書いてあり、ぶどうの収穫地が深川市と記載されていました。日本のワインできちんと3点表示をしたものもあるのだなと思うと同時に、原料収穫地を明記していることにたいへん驚きました。裏ラベルを見ると、一番下に、このワインの造り手である北海道ワイン株式会社の社長名が書かれ、判が押してあり、そこからも責任感が伝わってきました。

 

 コルクを抜くと、そこには北海道のマークが焼き印されていました。そのコルクの香りを嗅いだ瞬間、鮮やかに幼少の記憶を思い出したのです。昔、北海道の祖父の家で食べさせてもらったぶどう。まるでその時の様子まで浮かんでくるようでした。香りが記憶を刺激したのでしょう。

 ワインの味わいには、慈しむような甘さと、フレッシュな酸が広がる生きた風味があり、原料であるぶどうに対して素直にワインを造っている真面目な印象を受けました。

 「北海道の詩」を飲みながら、頭の中には、いつしか北海道のワイナリーの様子が連想されてきます。”北海道は高緯度地帯にあるから、ヨーロッパ系品種を栽培するのに適しているのだろう。魚介類や野菜、酪農製品など、おいしい食材と料理に恵まれた土地。冷涼な気候を好むぶどうから繊細な白ワインが造られ、毎年間近でそのワインのできを見守れることは素晴らしい喜びだろう”と、私はこのワイナリーの人々がうらやましく感じられたのです。

 まさに「灯台下暗し」です。北海道でワイン専用種が栽培され、日常的な価格で販売されています。ワインは輸入品が本物で、国産ワインは偽物、または自己満足のような高級ワイン。ずっとそんな思い込みがあり、自分のなかに舶来主義があったのだなと気づかされたのです。

 

ワイン、もっと気軽に

 私は、世界中の食文化を取り入れた日本の食卓に、ワインの楽しさと魅力が加われば、新しく楽しい日本の食文化が誕生するだろうと期待しています。ソムリエという仕事を通して、多くの人々にさまざまな食材や料理、ワインの楽しみを伝えていくことを一生かけてやっていこうと決めていました。

 ちょうど「北海道の詩」に出会った頃は、赤ワインブームを経てはいましたが、まだ、一般的にワインが抵抗なく浸透しているとはいえない状況で、ワインの魅力をアピールするためにさまざまな方法をホテルで試していたときでした。その多くは、安くておいしい輸入ワインを導入することでしたが、やはりワインには名前の難しさや蘊蓄がつきまとうイメージを払拭しきれずにいたのです。

 

 国内に尊敬すべきワイン生産者がいることを知ってからは、しばらく北海道ワイン株式会社が醸造するワインを探し続けました。ミュラー・トゥルガウやケルナーは日常的な価格で辛口のワインが造られており、その上級クラスになるほど、糖度の高いぶどうを使用しているようです。ワイン専用種以外にも、デラウェアやキャンベルなどの生食用品種もありました。

 一概に、生食用品種はワインには不向きといわれますが、果実がそのまま酒になった風味は日本人が慣れ親しんできた味覚です。私たち一人ひとりの遺伝子にも、その風味が好ましいものだと受け継がれているのでしょう。ズースレゼルブによって仕上げる生食用のワインにもよさがあります。

 また、甘口のワインは料理と合わせにくいとよくいわれますが、ワインの甘さは料理の脂肪分となめらかに調和します。生食用品種のポートランドやナイヤガラは、カマンベールチーズやクリームソースなどの乳脂肪とよく調和しますし、それら特有のマスカット香は、マリネなどの調味に加熱せずに使うと、果実の風味が加わり味わい豊かになります。スペアリブなどの甘味のある味付けや、豚バラ肉の焼肉など脂肪の多い肉料理にも、キャンベルのロゼワインがよく合います。これらは北海道でも食べることの多い食材でしょう。

 私はそれまで漠然と意識していた疑問に対する答えを導き出しました。それは、外国から来た文化は、きちんとした国産品が造られるようになってから初めて一般に普及するという事実です。自動車やビールがその根拠といえるでしょう。

 ワインだけは、何回ものブームを経てその知名度も高いのに、それでも一般に定着しにくいのは、世界最高級のワインを輸入する一方で、「国産ワイン」に初心者向けや低級品のイメージ、国産ワインを語るのは恥ずかしいという舶来主義が潜在してきたからかもしれません。

 私は、今では、日本人が誇りをもてる国産ワインがベーシックになったうえで、一般的な消費量が増大していってほしいものだと願っています。

北海道の大地に到着

 初めての出会いから半年。自分の惚れ込んだワイナリーのワインを広く一般に認知させていきたいということと、ワインのある楽しく新しい食文化を伝えていきたいと願う気持ちを、北海道ワイン株式会社の嶌村彰禧(しまむらあきよし)社長に手紙でお伝えし、2000年3月、私は北海道ワイン株式会社に入社できることとなりました。

 嶌村社長に手紙を書いた頃は、そこがいったいどんな会社なのかほとんど知りませんでしたが、ワインから伝わってくる真っ正直な姿勢を信じていたので、さほど不安はありませんでした。ただし、妻や両親の説得、友人やホテル仲間に自分の気持ちを理解してもらうには、かなりのエネルギーが必要でしたが…。

 

 北海道ワイン株式会社のことは「おたるワイン」のブランド名でご存知の方も多いかと思います。北海道産原料100%でドイツ式のワインづくりを行っている会社です。全国で第6位、北海道で最大の規模を誇ります。

 米作に代わり、安定した北海道農業の未来を支えることを目的に、昭和49年に社長が個人で創立しました。社是は「北海道ワインは北海道に必要な会社となります。感謝と誠実を心に」とあり、北海道ワイン株式会社の社員が持つ知志手帳からは「人生に悔いのない仕事、嘘や偽りのない堂々とした姿勢」を学びました。

 本社のある小樽市は、かつて「北のウォール街」として栄えた洋風建築の建物が並び、現在その多くは歴史的建造物に指定されている、異国情緒あふれる魅力的な街です。

 北海道ワインの工場は、小樽市からキロロへ向かう山の中腹にあります。ここの工場は山の斜面を利用しており、上部の原料受け入れ口から、製造工程が進むにつれて下側に移動する合理性をもっています。ドイツ式のステンレスタンク309基、5台のプレス機、最新鋭のクロスフローシステム、フローテーションを備えていて、年間300万本以上のワインを造っています。

 

 日本のぶどう生産量を用途別に集計した公的資料や、国産ワインの生産統計から、日本の「国産ワイン」の約85%が国産ではない原料から造られていることがわかります。当社のワインは100%北海道産ぶどうで醸造し、そのぶどうは447haの自社農場「鶴沼ワイナリー」で栽培される、ドイツ、オーストリア系のワイン専用種と、余市町を中心とする契約ぶどう農家が栽培する生食用品種を使用しています。当社のぶどうの受け入れ量は2000年が3675トン。これは生食用、加工用を合わせて北海道で収穫されるぶどう全量の約36%にのぼります。

 

 ワイン専用品種は、主力のミュラー・トゥルガウ、ケルナー、セイベル、ツヴァイゲルト・レーベ、バッカスなどが自社農場以外でも栽培され、ペルレやトラミナー、ヴァイスブルグンダー、シュペートブルグンダー、レンベルガーなどは自社農場でのみ栽培されています。

 ぶどう栽培は、北海道の気候と広大な土地だからこそ、農業機械を活用した垣根式栽培を行うことができます。鶴沼ワイナリーではその規模の大きさから、レーザー光線で一定間隔に苗木を植えていく機械、垣根を挟み込むようにして余分な葉を切り落としていくリーフカッター、垣根に枝を固定していく誘引機など、ヨーロッパ同様の設備が必要です。

 

<著者プロフィール(当時)>
1974年1月30日生まれ。97年ソムリエ資格を取得。宮城蔵王のリゾートホテルを経て、仙台市内のホテルに勤務。日本ソムリエ協会では東北支部総務副部長を担当。
現在は小樽市に在住し、北海道ワイン株式会社総合企画室勤務。

※記事中の記述は2001年当時のものです。人物の役職、イベント等の実施内容など現在とは異なっている場合がありますのでご承知おきください