【スペイン~9】グラナダ~アルハンブラ宮殿編 | 拓かれた時間の中で

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今日出会い、思い、感じたこと。一つでもよいから、「明日」の元気につながれば・・・。

グラナダ。
トレドとともに、この街を訪ねることは、今回の旅行の大きな目的の一つでもあった。

 

711年に始まったスペインにおけるイスラム支配は、1492年、ここグラナダが攻略されることをもって終焉を迎えた。
攻略というより、現在アメリカが北朝鮮と行っているような水面下の秘密協議の結果、アルハンブラ宮殿は無血開城される。

「王は魔法を使って宮殿を完成させた」と言われるほどに美しいアルハンブラ宮殿とは、どのようなものなのだろう。


ワシントン・アービングが書いた「アルハンブラ宮殿」によって、忘れ去られそうになっていたこのグラナダという土地が、世界に再度注目されることになったのは19世紀のこと。

 

この街に来るに辺り、車窓から眺める光景は、なぜグラナダが最後の最後までカトリックと辛抱強く交戦できたのかという理由を自ずと私に理解させる。
限りなく続く標高の高い山々は、まるでグラナダを取り囲む城壁。しかも、そこから流れ落ちる雪解け水はグラナダを潤すのに十分であり、人々のみならず、農作物の生育にも適した土地とするための恵みを与えている。

 

 

奇しくも1492年は、コロンブスが新大陸目指して大西洋を渡るという「大航海時代」の幕開けの年ともなった。
植民地とカトリックの布教という目的は、様々な弊害を国内にもたらし、それからわずか100年程度でスペインの経済的な重荷となり、ポルトガルとともに、その先世界の表舞台から事実上消え去ることになる。
その象徴が、1588年のスペイン無敵艦隊のイギリス相手の敗戦であった。

   

歴史を語るに「もし」という言葉は存在しないが、「打倒イスラム=レコンキスタ」という目標が無くなり、そもそもまとまらない5つの王国によって成立していたスペインが内政に目を向け、むしろイスラムがカトリックに対しても「寛容」であった姿勢に学び、王国間・民族間の融和に取り組んでいたとすれば、ひょっとすると現在の国際標準語は、スペイン語であったかも知れない。と、私は飛躍的に考える。

 

予約をしてくれ、現地をともに歩いてくれたグラナダ出身の友は、「歴史というものは見えないものを見ることにある。だから、君のように、実際に現地に足を運んで自ら見てみるということが大切なのだ」と、彼なりの歴史観を私に伝えてくれた。
もちろん、私もそのことに同調したのであった。