妖刀村正 | コリー・ファルコン・スコットのブログ

さてさて…昨日の記事にブログでお世話になっているマルフジノートさんよりコメントを頂きましたので…

 

今日は妖刀村正について…

 

これはフツーの美術刀…村正じゃないよ…

 

村正が妖刀と呼ばれるようになったのは…徳川家に仇をなすと云われたことが要因で…

 

家康の祖父・清康も父・広忠も家臣に暗殺されているのですが…この時の刀がいずれも村正で…

 

確か家康の妻の築山殿と長男・信康が処断された時の刀も村正…

 

さらに…大坂夏の陣で家康が真田信繫を討ち取った越前松平家の家臣、西尾某を謁見した時に…

 

実際に西尾が使っていた槍を見分して、手を滑らせ指を傷つけてしまい…槍の穂先が村正だったのに気付いて…

 

「村正は我が家に祟る」…と呟いたことから村正の妖刀伝説が決定づけられた…とという逸話もあります…

 

また…1634年、長崎奉行だった竹中采女正重義という大名が抜荷や賄賂のために切腹の刑に処せられているのですが…

 

束縛された時に村正を二十数振も秘匿していたことが露見しています…徳川家にとって縁起の悪い刀だということで大量に廃棄される風潮だった村正を秘匿していたのは…

 

徳川家の世が終われば村正が価値が出るだろうと踏んでのことだったとか…

 

この采女正重義、豊臣秀吉の軍師で清廉潔白な人柄で有名だった竹中半兵衛の一族だということだからビックリです…

 

で…村正がなぜこれほど徳川家に祟ったか…一説には…村正は伊勢の刀工で非常に質の良い刀だったわりにとても廉価だったので…

 

東海地方の武士は村正を愛刀にすることがあたりまえのようだったからだとか…

 

越前松平家は当時、家康の孫の代なので家臣の武士も徳川家の地元、三河ゆかりの者がたくさんいたからだということです…

 

ギロッポン…夜になったらカーニバル?…

 

なんか…バブル期にBMWが六本木のカローラと呼ばれていたのに似てるんじゃないのかい?…

 

BMWは高性能な高級車だけど…フェラーリやポルシェに比べて安いもんね…

 

家康の祖父や父がどのような背景によって暗殺されたのかは…海音寺潮五郎著「武将列伝」第3巻徳川家康に詳しく述べられています…

 

 

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