裏をかけ!
その一週間後のことです。
今度は次長から、
「今日は明日の打ち合わせのための資料作りを手伝って欲しい。申し訳ないけど残業してもらえるかな?」
と、頼まれたのです。
しかし、残業する場合には事務責任者の根田見さんの許可を得なければなりません。
佐江照さんがその件を根田見さんに伝えると、
「あなたは時給がとってもお高い派遣さんなので、残業しないでください。残業代を派遣に払うほどの余裕はないですから」
仕方なく、佐江照さんは、社員であるもう一人の事務職員の女性と昼休みも返上して資料作りを行いました。
しかし、終業時間の6時を過ぎても作業を終えることはできません。根田見さんは必死に作業をする二人を尻目にさっさと帰宅準備をして会社を出て行きます。
次長は外に出たきり戻ってきません。
佐江照さんは、
「わたしの残業代は結構ですし、派遣会社には申請しないのでこのまま作業を進めましょう」
そう事務職員に言って、結局、2時間ほど残業をしたのです。
その翌日のことでした。
根田見さんが佐江照さんに、こう聞いてきたのです。
「もしかして昨日、あの後、残業したんじゃないでしょうね?」
「しましたけど、わたしが勝手にやったことなので派遣会社には申請してませんよ」
「残業したの?なに勝手なことをしてるの!」
「ですので、申請はしませんので、ご迷惑はおかけしていません」
「残業代は払わないわけにはいかないのよ!そういう契約になってるの!だからやるなって言ったじゃない!あなたはどこまで銭ゲバなのよ!」
あまりにひどい言われようですが、佐江照さんはあえてこう言い返したのです。
「え?残業代いただけるんですか?本当ですか?根田見さん、ありがとうございます!でも、それってわたしのせいで根田見さんの立場が悪くなりますけれど、大丈夫ですか?本当に申し訳ありません。二度とこういうことがないように次長には、わたしは残業ができないとちゃんと伝えておきますね」
佐江照さんのこの態度に、根田見さんは一瞬、二の句が告げなかったそうです。
そして、
「勝手な残業はやめてください。どうしても残業しなければならない時は必ず事前に言ってください!」
「じゃあ、残業してもいいんですね?」
「ダメです!ダメですが、次長からの依頼でどうしてもやらなければならない時だけです。次長にはわたしから伝えておきます」
「大丈夫です。次長にはわたしがちゃんと伝えますから」
「わ・た・し・が伝えます!あなたからは何も言わないように!」
「わたしが伝えたほうが正確に伝わると思うんですけど。大丈夫ですか?」
「あなただから信用できないの!」
「あ、そうなんですね。わかりました。よろしくお願いします」
相手は権力を笠に着た、いわばパワハラのプロです。
こう言えば相手はこう返すだろうと想定しています。その返しをさらに叩く。
パターンを想定して口撃してきます。
当然、相手の傷つく言葉、人から一番言われたくない言葉を選んで執拗に浴びせてくるし、相手が言い返せない理屈を絡めてきます。
非常に巧妙なのです。
ただ、彼らにも欠点があります。
想定外の反応には弱いということです。
想定の反応を期待して、そこに快感を求めてパワハラをしてくるわけです。
つまり、期待通りの反応が返ってくるものだという思い込みがあります。
そこさえわかって、その通りの反応をしなければいいわけです。
裏をかくのです。
そのためには、前回も書きましたが、準備をしておかなくてはなりません。
パワハラは突然、飛んできます。
パワハラを仕掛けてくる人間は、相手の油断をついてきます。
揚げ足を取るのが非常にうまい。
やられた側は慌てるし、傷つくし、平常心でいられなくなります。
動揺し、言葉に詰まります。何も言い返せなくなります。
やった側は、その反応を野良犬のようによだれを垂らして待ち構えています。
だから、その餌を与えてはならないのです。
そのためには、
「パワハラいつでもこい!」
と、いう覚悟と、裏をかく冷静さが必要となるのです。
だから、準備はとても大切なのです。
「でも、それをやると、さらにいじめがエスカレートする。パワハラがさらにひどくなる可能性はありませんか?」
確かにありますが、チャレンジする価値はあります。
佐江照さんは、そこにチャレンジしたのです。
根田見さんはあの瞬間、
「この人天然?」
「それとも、わたしの嘘に気づいてる?」
「この人、わざとトボけてるの?」
そう感じたと思います。
ちょっと扱いづらいかな?読めないな?そう思ったのだとしたら、佐江照さんのチャレンジは成功したと思ってもいいでしょう。
次回は、ついに次長が佐江照さんに牙を向きます。
人間関係はさらに複雑になっていきます。
佐江照さんはその波に飲み込まれてしまうのか?
それとも、
その波を利用して、うまく乗りこなすことができるのか?
つづく
