(退院してその日に救急車で搬送 …介護日記#1のつづき)
退院同日に救急車で搬送後帰宅。自宅にて様子を見ることになった父90才。
痛みどめでなんとか動けるようになったものの、約1月間の入院生活のせいだろうと思える身体の動きの不調。
動かせないもどかしさ
動けない悔しさ
なんでこんなになっちゃったんだ?
そのくやしさ、もどかしさが、声を荒げさせる。
「おーーーい!」
トイレに行こうと起き上がろうとするも起きれない。
痛みどめで痛みはさほどなくても、身体の自由がきかない。
入院する前は、多少、歩行の不安定さがあり、手押し車の世話にはなっていたが、一人で電動カートに乗って外出もでき、家でも食事の支度以外は、全て自分で出来ていた父。
もどかしいのだろう。くやしいのだろうと思う。
手をかけてしまうことに申し訳なさとさやくやしささなど、いろいろな思いが絡まった表現の父。
入院中、初めの頃は抵抗があってなかなかはこうとしなかった、おむつパンツ。退院時くらいにはその抵抗もなくなっていた。
でも、昼間にぬらすようなことはなかった。
だから、家でもその調子でいけると思っていた。
そう、父も私も。
それが、動けない。おむつパンツが重いと感じるほどおしっこをしてしまって変えたくても変えることもできない。
自由に動いていた父にとって、それは、それさえもできない自分は、どれほどはがゆく、くやしく、情けなく、怒れてくることなのだろう。
穏やかに暮らしていた父にとって、それはどんなにか、衝撃的な事実だったんだろうか。
(ふらふら足元もふらつかない)年寄り嫌いだった父だから。
その年寄りに自分もなってしまった・・・涙ぐんでいる表情は、その事実からくる衝撃…なのだろうとどうしても思えてしまう。
自力で動けなくなった父と、そんな父の世話をする娘は、ともに介護一年生。
少しでも自分で動けるようになることが、そんな父娘の目指す青空。
がんばろうね、おじーちゃん!
そう、この言葉が自然に出た。
自然に出せるようになっていた自分に驚く娘の私。
理由は、入院するまでお互い反目しあっていたから。
私は……父が大嫌いだったから。顔を見るのも、気配を感じるのもイヤだったほと。
その理由は、また少しずつ書いていきますが…
ひとまず、つづきは介護の話です。
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