台湾紀行④むかしがたり
この旅で
心に深く残った傷がある。
それは・・・
台風一過のなか
遠東航空(いまあるのか?)
の
台北(松山)-花蓮
をB737で飛んだときだ。
チャイナドレス風のCAがのっていたが
これが激しいタービュランスで
配られたブリックパックのジュースが
天井に跳ね上がるほどのBUMPYな
フライトだった。
あの恐怖は一生忘れない。
花蓮についたときの
輝く太陽が忘れられない。
腰を抜かして立てない日本人の
おばさんがいた。
機内は阿鼻叫喚で
「わー!」「きゃー!」の連続だった。
その後のタロコ峡谷の
灰色の水、断崖も印象的だったが
少数民族の高砂族だったか、
きらびやかな色づかいの
衣装も覚えている。
あとから思えば
同じ路線、同じ航空会社、同じ飛行機の型で
作家の向田邦子が亡くなっているのだ。
それをきき、さらに恐怖感が倍増した。
台湾 FORMOSA 80s③
張さんは
当時の台鉄の
花形列車
自強号
に乗りたいという
わがままも聞いてくれて
高雄-台北は
列車の旅になった。
銀色のぎらぎらした
ボディーの列車、
なかはなんとなく
中華風で
乗り物好きな私を
興奮させた。
とてもスムーズに
運転され
台南・台中といった
主要都市にとまりながら
台北まで乗った。
風景の中には
まだまだ
薄汚い町並みが残っていて
高度成長期の台湾の
負の側面が脳裏に焼きついている。
なんとなく
自強号の車窓から見えた
貧しい街なみに
汚いな・・・とぼそっと
つぶやいてしまい
親からたしなめられた。
反対側に座る張さんの
様子を盗み見たが
幸いこちらは向いていなかった。
でも耳に入っていたらと
子供ごごろに
日本人の傲慢さを恥じた。
そんな時代の台湾だった。
台湾紀行 80年代 ②
覚えているのは
日本アジア航空で
そして行きが
成田から直接
高雄に入った気がする。
写真では
引退直前のDC8が
おさめられている。
帰りはB747で台北から成田だったはずだ。
今考えると
DC8に乗れたし、
さらに幼いころのタイ旅行の時に
AIR INDIAのB707にも乗っているので
よい体験だった。
当時の高雄は
バイクだらけだった気がする。
バンで最南端のWOLANPI岬まで
いった。
うまれて初めてバナナの花をみて
驚いた記憶がある。
熱帯のゆったりとした空気の中
道端のパパイヤ畑など
日本で見たこともない光景が
目に焼きついている。
岬の最先端で
張さんから
バシー海峡の向こうは
フィリピンだと教えられ
海の向こうのルソン島などに
思いをはせていたのだ。


