おはようございます。

みなさん、ソウルワークが対人という方も多いでしょう。
カウンセラー的なことを目指す人も多いのではないかな?
どうですか?


その時にね
とっても大事なことがあるんですよ。

それは前からいってる自他との境界線の引き方です。

精神科医が患者に寄り添わない
冷たいっていう声をよく聞くけど、そうじゃないと精神科医は仕事できないって巫女も言ってましたけど
それと同じです。


誰かから相談受けますよね?
その時にモヤモヤしたり
うん?となってる人多いんですけど

そこでどんなことが起こってるかというと
他人事、相談者の問題が
自分事、聞いてる話に変わっちゃってるんですね。

ここ、切り分けないと危険です。
だって、相談者の問題で相談側の問題じゃないから。

わかりますかね?

主観的になってしまってるということです。
アドバイスも自分基準になるってことですよ。

自分だったらこうするとかね、言いがちなんです。

でも、相談者はカウンセラーとは別の人
別の性格
別の生い立ちを持ってます。
カウンセラーの正解が必ずしも相談者の正解じゃないんですよ。

勿論ね
カウンセラーも同じ体験して、自分の時はこうだったよって一つの例としていうのはいいんですよ。
相談者としたら
そんな方法もあるのかーって視野が広がります。
その方法を採用しなくてもね、視野が広がるだけで救われる場合もあるんです。

だから、一つの例として
自分のことをいうのはいいんですけど

自分だったらとか
主観的、感情的になって
自他境界が曖昧ではカウンセリングはできませんよ。

そりゃそうでしょ?

今カウンセラーの話してないですもんね。
相談者の話を聞いてるわけですよ。
それを主観というフィルターで語ったら、話噛み合わないですよ。


話を聴く側
カウンセリングする側が
私、私、私
主観、主観、主観
感情、感情、感情
私だったらこうする!!

これ相談者はきついですよ。

そうじゃないですか?

僕たち天界の菩薩なんかに如来たちが言ってるのは
まあ、菩薩がみなさんを直接指導することが多いからね、如来が菩薩に指導するわけなんですけど

菩薩だって人の悩み聞いていろんな感想もつわけですよ。
でも、菩薩の感情や主観は表さない場合が多いです。
なんでかっていうとそれが仕事じゃないから。

今この目の前の相談者は
なんでこういうこというのかな?
なんでこんな感情を持つようになったのかな?
とそこに注意を払うように如来は菩薩に指導してます。
自分事にしないで
自分語りをしないで
相手を見て語りなさい、と。


仏陀はどんな人がきても相手に合わせて法を説くことができました。
仏陀のようにとは言わないけど、菩薩も人を見て話をする。
それこそ、education 
(孫注:最近来た方に向けて。education の語源はラテン語です。eduは英語でexで中から外へ、ducare、ducere,trarreなど引っ張り出すという意味)
その人が持っているものを外に引っ張り出す
それをしてくださいと如来は菩薩にいってます。

みなさん、どうですか?
実践できてますか?

カウンセラーじゃなくても
日常生活でも有効活用できますよ。

感情優位な人はこういう人多いんですよ。
感情優位なのは素晴らしいことですけど、優位すぎると弊害が出ます。

やはり中道、中庸が一番です。