一夜行 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある

 
 寝台のない夜行列車だった
 何も見えない遠くを
 何処だかは知らなかったけれど
 ときどき小さな灯りが並んで過ぎていった
 外の暗闇が戻ると
 自分の白い半袖のワイシャツが窓に映った

 その車両には客は数人くらいしかいなくて
 皆一人らしく
 ボックスに別々に座って
 黙っているか眠っているようだった
 座席に横になってみたけれど
 眠れなかった
 繰り返す重い機械の振動は嫌いではなかったし
 瞬く間に通り過ぎる遮断機のかんかんという音も
 どこか人間じみて好きだった

 それでも僕は眠れなかった
 眠りたくなかった のかもしれない
 中学に入った歳だったけれど
 一人でいいと言って乗った夜行列車
 過ぎていく時間の一分も失わないようにとでも
 思っていたのか

 駅で比較的長い停車
 たった一人しかいない売り子がホームを過ぎていき
 発車の合図
 それから一人の女の人が
 ここで乗ってきたのか
 それとも
 別の車両から移動してきたのか

 いったん横を通り過ぎてから戻ってきて
 小さな鞄ときちんとした上着を棚に載せてから
 すとんと僕の隣に座る
 黒いタイトなスカートに半袖の白いブラウス
 髪は長くなくストレートですっきりしていた
 話しかけてくるのかと思ったけれど
 何も言わなかった

 しばらくは外を眺めていたが
 やがて目を閉じ少し頭を垂れて眠り始める
 隣に誰かいる
 それだけで僕は少し安らかな気持ちになったのか
 少し眠れる気がし

 でも女の人は列車の揺れるたびに傾き
 近づいて
 その人は僕よりほんの少し背が低かったのか
 うとうととする間に腰が前に滑っていったのか
 眠った頭が僕の肩に寄りかかるようになっていた
 それに気づいて
 僕の浅い眠りは覚めた

 少しだけその人の方に顔を向けると
 まるでついさっきシャワーでも浴びてきたかのように
 石鹸の匂いがした
 僕は少し肩を竦(すく)めてみたけれど
 女の人は深い眠りに落ちてしまったのか
 僕に寄りかかったまま
 微かに寝息をたてている

 起こさないことに決めて
 僕はその人のことを少し考えた
 一人で座っているよりは安全だと思ったのだろうか
 ただ一人で座っているのが嫌だったのか
 なぜこの人は夜行列車に一人で乗ってきたのだろう
 何処まで列車に乗っていくのだろうか
 僕と同じように終点まで行くのか
 それともすぐに次か次の次くらいで降りるのか

 列車は走り続け
 女の人はぐっすり眠っているようだった
 頭だけ肩に預けただけではなく
 身体全体が僕に預けられたようになって
 その人の体温が伝わってきた

 やさしくゆっくりと繰り返される寝息
 深い眠りだった
 それはその人の安心を示しているのだろう

 僕は考えていた
 目が覚めるまで
 あるいは終点に着く夜明け前くらいまで
 こうして支えて
 受け止めていようと

 他にすることはなかったのだ
 
 何時間かの後
 終着に近づく列車のなかで
 僕は静かで深いその人の寝息の向こうの
 正確に夜が白み始める音を聞いていた