緑に埋もれた家 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある









 五月が近づいている
 そのことを教える風の匂いの満ちた
 何羽もの鶯の声が響き渡る谷あいの
 竹林の傍らの小さな家


 屋根を突き上げるばかりにふくらんだ椿の枝と葉叢
 大きく育ち花をつけたハナミズキにも
 まるで冬衣のように蔦が纏わりついて


 家の外壁にも蔦は網のように根を広げ
 くねる茎から緑の葉を伸ばして家を厚く覆っていた


 人の足よりも太い蔦の幹
 まるでアジアの何処かの密林の
 石作りの遺跡を覆う蔦のようだ



 もう長い間
 この家には住む人がいなかった
 これからも
 所有者になった者が戻らなければ
 母屋ともども誰も住むことはない


 鶯の声に包まれて眠るように動かない家は
 蔦と一体となっていた
 蔦を引き剥がせば家の外壁も朽ち落ちる


 蔦に混じって伸びたスイカズラにはまだ花はなかったが
 花の季節には家が金銀の花に飾られることだろう



 打ち捨てられたまま時を過ぎてきた
 この家に
 かって子どもだった僕は一人で住んでいた


 孤独は感じなかった
 今と同じように鳥が訪れ
 リスたちが窓を叩いた


 祖父母たちが近くに暮らしていたが
 僕は一人で暮らしたいと望んだ
 親しい人たちが訪れることを
 再び戻ってくることをずっと夢に見て
 願ってもいたから


 長い年月のあいだ崩折れることもなく
 蔦とともに在った家に
 長い年月の空白の後に戻ってきた
 この日に春の光は明るかった


 祭でもらい嬉しくてその日に植えた
 小人のようなハナミズキが今は大木になり
 時は過ぎて


 僕は今そこに佇んで家を眺め
 鶯たちの鳴き交わす歌を聞いている
 山の中腹から竹林に向かって歌が降り注ぐのを



 僕だ
 ここにいるのは

 心の家よ


 いつかまた暮らすために戻ることがあるのだろうか
 おそらくもはや人の住むだけの強度を保ってはいないだろう
 木の壁は乾いた木の皮のように軽く
 触れると木の匂いのする粉が煙のように舞った
 まるで塵に帰る準備はできていると言いそうに


 蔦に埋もれながら幾歳月の記憶を封じてきた
 心の家よ

 心しか住めない埋れ木の家よ