「あの
確かじゃないので
私の目のせいかも
上にだけは
あと先生にも報告しますが
他には言いません」
Gの部下らしい男は今見たことにかなり動揺している
無理もないことだった
いや彼だけではない
僕もMも動揺していた
それぞれに違った意味であったかもしれないけれど
Mはその様子から
少なくとも目の前のダフネ2がダフネではないのかもしれないと
考え始めたようだった
しかしそうだとしても
一体どういうことなのか理解できるとは思えない
「突き落とした」としたら?
どういうことなのかと色々な可能性を考えているだろう
僕は今更ながら2とダフネの関係を考えていた
2はダフネの身代わりになると言っていたけれど
そして確かにそういう感触は次第に確かになってはいたが
その言動を信じてよいという証拠はなかった
ただ二人が酷似しているということ以外には
もしかしたら2に悪意があるような場合には
僕はそこまでも考えたけれど
2の表情はそんな行動をした人間の表情には見えなかったのだ
2の顔はもともとの白い肌がさらに透き通るように見える
そして尚も動かなかった
僕が近寄って「大丈夫か」と聞いたときにも何も応えずに
じっと崖下を見ているようだった
その思いつめたような視線のおかげで
僕はまたあり得ないことを考え始める
崖下に何かが見えたら
そういう不安
僕はそういう想像を振り捨てようと
警備の男に振り返って聞く
「その
もう一人
どんな子だったんですか」
「どんなって
同じです
まるで像がぶれたみたいに同じ
いや
でももしかしたらその子より少し大きかったかもしれません
この位置からだから確信は6割程度です
それ以上は確認する暇なんかあったもんじゃなく」
それ以上の情報は得られそうもなかったので
僕は2の肩を抱きかかえるようにしながら
家の方に戻るように促したのだけれど
まるで2はそこに生えていた木のように動かなくなっていた
「ダフネじゃないの?」とMが言った
「いやそれは今どうこう言うと話がこじれそうな気が」と僕
「どういう事実関係なのか私にはわからないけど
説明してって言っても無理そうね
いいわ
少なくとも周りには誰の気配もないみたい
連れて戻れないんならもう少しこっちに来たら」
確かにそうだった
2の立っている場所はもしものことがないではない場所だった
「さあ 少しでいいからそっちへ」と2の耳元で言った
崖下の海は灰色にくすんで波立っていた
ここで何があったとしてもそれは今更取り返しのつかないこと
今までと同じように起きてしまってからではどうにもならない
幸いに覗きこんだ灰色の海と磯には人影らしいものはなかった
こういうときはこれからを考えるべきなのだ
「ほら 何か買い物をすると言っていただろ」
そう僕が言うと2は思い出したかのように顔を上げて
今走ってきた道をゆっくりと戻り始める
表情は出かけようとしていたときとは異なって
複雑な感情のミクスチャになっていた
当惑 怒り 決意 諦め
まだ12かそこらの少女の顔にこんなに複雑な表情が
浮かぶものなのかと思ったほどだった
Mが近寄って僕の代わりに2の腰に腕を回して歩き始めると
2は少し穏やかな表情を見せたように思えたけれど
それでも言葉はなく
歩きながら僕は考えていた
もし本当にMの見たのがダフネであったとしたら
誰か他に
つまりダフネを連れ去った女がいた可能性も低くはない
連れ去っておきながら
しかもそれはダフネを守ることなのだと2が言う通りなら
ただ一人この崖の上に来させるはずはない
僕はMに後ろから聞く
「ねぇ ダフネの他に誰か居なかったかい」
「車の中からだったから
草の影とかにいたらわからなかったと思う
誰かが居るはずだったの?」
「いや それはただの憶測だけど
ここに一人で居ることが少し合点がいかないとことがあって」
「よくわからない」
「そうだな Mの居ない間に色々なことがあったんだ
それを一気に話すことは難しい
今は買い物に行きたいと言っていたことをと」
そのときMは振り向いて聞いた
「双子なの?」
「そうかもしれない」僕は曖昧な言い方をした
そもそも僕にだって確かな説明をすることはできなかったのだ
「いいわ」とM
こういうときのMの口癖だと思う
ある意味とても有り難い口癖だしMの性格を示す言葉でもあった
僕が曖昧な言い方をしていることを感じ取った上で待つ
知りたいという気持ちを少しの間でも抑えることができなければ
この崖の上の家では暮らしていけない日々だった
「買い物って街に行くつもりだったの
何を買いに?」
「いや 何をなのかわからないんだ それが」と僕
「やれやれ ここは相変わらずなのね」とM
そう
意味は少し違うかもしれないけれど確かに
何かが『相変わらず』なのだろう
『相変わらず』という言葉の普通の意味とはほど遠いけれど
ちょうどそうMが言ったとき向こうから
少し早足にあのひとがGと歩いてくるのが見えた
ユニィオも一緒だった
ユニィオがなぜ僕たちを追わなかったのかが少し不思議な気がしたが
ユニィオがあのひとにも懐いていたからかもしれないと思う
「呼びにきたのでね」とあのひとが遠くから言う
「ユニィオが吠えてきたのだ
どうした?」
ユニィオが?
それはまた少し驚くべきことかもしれなかったが
もういちいち詮索する余裕は僕たちにはなかった
「ゆっくり話します
いえ きっと報告があると」とだけ僕は答えた
2はまだ何も言わない
こうして無口になると2はほとんどダフネのようだった
「出かけるのか」
「ええ ちょっと
でも少し混乱しているからどうするか」
「ただいま また戻ってきてしまいました」と
Mがあの人に向かって言う
「おかえりなさい あなたがいればKも安心するだろう」
そのやりとりから既にあのひとが
スーツケースの主がMであることを知っていることがわかる
「話は複雑になりかけているようでね」とあのひと
「そうらしいですね
そうじゃなかったら良かったと言いたいけれど」とM
「ははは
まあお母さんのイギリス暮らしの話でも聞かせてくださいよ」
「はい 勿論 話は山のようにありますから」とM
まるで何事もなかった
平穏な田舎暮らしに
イギリスの母親の元からMが戻ってきただけみたいに
あのひととMは挨拶し合う
いずれにしても
ここしばらくの間に起きた出来事をMにも話さねばならなかった
それは決して簡単な話ではないだろうと思う
そのときMが言った
「ダフネがここでもバレの練習始めたの?」
「え どうしてそう思った?」と聞くと
また信じられない答えが返って来た
「だって綺麗な青のチュチュだったんだもの」
そうMはこともなげに言ったのだった