その枝分かれの方式というか論理(?)というかをいつも考えてしまうのだけれど
そういう僕が今年になって鳥たちに魅入られて
冬の夕暮れにまで飛ぶ鳥たちを追いかけてしまう
そうすると
冬になって清貧を喜ぶようになった枝々の形を見上げずにはいられないところに
鳥が飛ぶとなれば
どうしても
枝と鳥とを交互に眺めてしまうのだ
夏は水辺の水の傍に居ることが多かった鷺たちも
冬には少し生活圏を変えてしまうらしい
木の枝は裸になっても
枝が集まればただの吹き曝しの水辺ではないし
木自体が水よりも暖かいのかもしれない
枝に近いところを飛ぶ姿が増えたらしく
ただ鷺を追いかけてシャッターを押していると
枝も一緒に写り込む
ただ枝の傍を飛ぶだけではなく
枝を休息場所にしてもいるだろうし
他にも枝は彼らを守る特性を持っているらしい
そんな写真を集めてみた
皆さんは美しいと思ってくださるでしょうか
鳥にピントが合っていない写真は下手な写真なのだろうが
僕はこういう枝の存在感の背景に飛んでいる鷺も美しいと思う

枝に近づいてくる鷺の飛び方はなかなか美しい
(1)ではそれほどダイナミックな動きのある写真はないけれど
鷺は大きな鳥なので枝にとまるときには
なかなかダイナミックな動きをするものだ
これは次回にして
今は枝に休息する鷺たちと
枝の間を飛んでいく姿を見ていただくことにしよう
やはり夏よりも羽はこんもりと膨らんで
あたたかそうにに見える

上の写真の鷺のの脚
ちゃんと枝と区別できただろうか
下の写真ではどうだろう

枝がまるで囲いのように見える
実際このアオサギは隠れているつもりなのかもしれない
注意してみていないと見過ごしてしまうほど
じっと動かないし枝の色に隠れてしまうようでもある
水辺に場所を探す者も少しいるようだが
なぜか寂しげに見える
夏との対比のせいなのだろうか
日没間近の夕暮れで風の強い曇天
いくら高感度にしても色は薄れるが
その分
枝の姿が映える気がする

このとまり方
枝を両足でつかんでやっととまっているのが愛らしい
実際ときには
つかみ損ねることもあるようだ
そう言えば鳥たちの脚は
どこか木の枝のようでもある

木の枝と鳥
切っても切れない関係にあることを今更ながらに感じる
至極当たり前のことなのだが
水辺に佇む鷺を見慣れてしまうと不思議な気がしてしまう
風がまた一段と強くなり枝が揺れ始めた
日没も近い











