絵を描くことは好きだった
と言っても絵描きになりたいとかそういう望みはなかったし
と言っても絵描きになりたいとかそういう望みはなかったし
誰かに見せるとかどこかの展覧会に出すとか
そういうことでは全くなかった
(聖ジョセフは唯一の例外だな)
(聖ジョセフは唯一の例外だな)
まあ二三人の仲間に見せるともなく見てもらったものもあったけれど
95%以上は誰の(まさに誰の)目にも見せていない
自分の楽しみだけに描いたものだったし
誰かに見せて批評してもらおうという考え方もなかった
言葉で書くものとは違っているスタンスなのだ
思い出せることを思い出してみようと思った
小学校のとき
低学年のとき絵日記が夏休みの宿題
そのときは祖父母のところにいたのだけど
祖母が日本画をほんの少しだけ習っていて
絵日記の描き方を教えてくれた記憶がある
高学年
低学年のとき絵日記が夏休みの宿題
そのときは祖父母のところにいたのだけど
祖母が日本画をほんの少しだけ習っていて
絵日記の描き方を教えてくれた記憶がある
高学年
いわゆる担任の先生はもともと美術の先生だったらしい
「アフリカとかの人たちの武器や身を守る道具(盾)を描いてごらん」というのがあって
二匹の蛇を両脇にして中央にバッファローみたいなのを描いた
アフリカにバッファロー??なんだけどね
アフリカにバッファロー??なんだけどね
盾の形はまあハートマークに近い
気に入られて半年くらい教室に飾ってあった
中学のとき
美術の先生はそういう学校の美術の先生らしくなく
酒が好きなのかいつも赤い顔をしていたが
名のある展覧会に出品し賞も何度かもらったことのあるひとだったので
校長も目立たないならと容認していたようだ
あからさまに酒の匂いをさせていたわけでもないし
でもとにかく酒瓶のデッサンが多かった記憶
正確には覚えていないけれどその先生は
生徒の絵を評価するとき点数ではなくて
「霞 雲 形 色」とかいう言葉で段階分けしていた
形と色がどっちが上だったのか覚えていないが
色はそれこそ禁色じゃないけどランク分けされてたか
色はそれこそ禁色じゃないけどランク分けされてたか
ほとんどの生徒はいつも霞か
良くて雲だった
僕もご多分に漏れずで雲を「くも」と縦書きにした評価をもらうばかり
ある日美術教室に行くと
使い込んだ細めのイーゼルに前の週に僕が描いた淡彩が置かれていて
そのイーゼルは教室の前中央
「こりゃいい絵だと思うのでしばらくこうしておくな」
絵の右下に「形」の字があったので後で同級生たちに
温かいボカスカを見舞われた(いじめではない)
描いたのは先生が職員室かどこかで見つけてきた
持ち主が名乗りでてこない忘れ物の薄汚れた運動靴
「こんなものなのに妙にロマンチックな形にできるという例だな」と
それから校外写生とかに行くと時間が半分くらい経過した頃に
回ってきては「ふーん」とか「へー」とかだけ言って居なくなる
校舎と周辺の林を描いていたとき
「ふーん お前のロマンチックは染み付いたもんだなあ
最近は色までそうなってきた
ガールフレンドとかいるのか」
「いいえ 全然」
「ふーん」
ガールフレンドとかいるのか」
「いいえ 全然」
「ふーん」
学園祭か何かで極めて珍しく親がそろって遊びに来たときに
かの先生が親のところに来て
「一回でいいのでモデル頼みたいのだけれどご両親に相談してと思って」と
傍で聞いていて「先生 ヌードはいやですよ」と笑うと
大笑いして「いや何度も何度も走ってくれればいいだけなんだが
ちょっと労働だかならなと思って」と
オヤジが「お前ヌード描いてもらえよ」と笑ったのを覚えている
どこか常識はずれな人だった
珍しいことだったが放課後にトラックをジョギング姿で走った
100メートルくらい走ってまた戻る
何を描いているのかは見せてくれない
いっぱいスケッチしているのは分かるのだが
やがて等身大に近いキャンバスに下絵を描き始めて
そのときはときどき「おおい暇か」と来る程度になり
行っても十分くらいで解放
行っても十分くらいで解放
やがて
「まあこんなもんかな」と出来上がった宣言
で見せてもらったのは
で見せてもらったのは
走っている後ろ姿で写実的という絵ではなかったが
アンツーカーの鮮やかな色と走ってるなという感じの後ろ姿
服の白とアンツーカーのレンガ色がコントラストになっていた
アンツーカーの鮮やかな色と走ってるなという感じの後ろ姿
服の白とアンツーカーのレンガ色がコントラストになっていた
「なんだ顔は無しですか」と笑うと
「まあお前の顔は絵にしにくい典型だしな(平凡という意味だろう!)」と言ってから
こう言った
「自分の後ろ姿なんて滅多に見られるものじゃないだろ
なんだかな お前には後ろ姿を見せてやりたくてな」
僕はわけもなく感激したのだけれど
感激したことが重要だったので
その絵がその後どうなったのか全く知らないままになっている
先生に会う機会もその後何回かあったけれど
その絵の話はしていない
「絵描いてるか」
「いいえ すみません」
「いいさ またその気になったら描け」
その絵の話はしていない
「絵描いてるか」
「いいえ すみません」
「いいさ またその気になったら描け」
それっきり絵とは縁がなくなって
学生時代に一人で居るようになって絵をまた描いてみようと
で
下手な絵を自分の部屋の中で
あるいは講義中の教室でノートに
一年くらいはよく描いていたと思うのだが
多くは見て覚えていたものを描くので
モデルを目の前にしてという絵は全体としては少ないと思う
それも時間がなくなったのか飽きたのか
それっきりになり
思いついたように絵の具を買い込んだりするのに結局描かなかった
そしてここ
コンピュータやスマートフォンでも絵が掛けるのかなと
イーゼルを立てて
水を組んできて周辺を片付けて
それだけの手間なのだけれど絵を描くには手間がかかる
何だろ 時間がね
でもコンピュータとかだとそういう自分なりに
時間をかけていくステップ無しで描けるので
まあ何というかお手軽
これはこれで絵をまた描く気にはさせてくれたありがたいことなんだけれど
やはり自分なりに手間をかけ時間を踏んで行くのも
大切なんだなと最近よく思う
でも僕は絵描きじゃないし
他にしたいことがあるので
どこまでやれるのか分からない
お手軽お気楽で結構だと思っているところかな
でもコメント返しにも書かせてもらったけれど
人の目に晒してコメントしてもらったりすると
自分を見直すことになるんだなと感じてるので
絵をバカにしてはいない
言葉は意識してコントロールできる面もかなりあるけれど
絵は僕の力量の低さもあってよくコントロールできない
その分なんか素直でいられるのが嬉しいかな
だから?
さあ
さてさて・・・ (笑)
この記事の絵はまあ記事に関係ないなと思うのを
そしてそれほど気に入っても居ないのだけれど選んでみた
そう言えばこれは高校のときのか
高校のとき米軍の将校(と言っても学者だった)の息子たちに
日本語を教えるのを頼まれた
アルバイトだったわけではないが
その家に行って腕白小僧三人に小泉八雲とかを英語と日本語で話してやったり
日本語会話を適当に練習する
でその日の昼食とときどきは夕食を一緒にする
そんな感じだったかな
一緒に旅行に出かけたこともあったか
そういう機会の一つだったかな
米軍基地の将校クラブみたいなところでジャズ演奏を聞きながらディナー
不思議な空間だったな
不思議な空間だったな
バンドにクラリネット吹きがいて顔がなんか渋くてね
ドクター将校と顔見知りで話もしたことがあるみたいで
合間に楽器を持ったままテーブルに来ておしゃべりしたりした
合間に楽器を持ったままテーブルに来ておしゃべりしたりした
そんなこともあったわけ
