先日
ちいさなことばについて書いたのだけれど
入門的(と言っていいのかな)文法・文例集を読み終えたら
意外にその言葉で書いた別の文例も妙にわかりやすかった
それだけわかりやすい言葉なのかもしれない
(まだちょっと経験不足で しかとはわからないけれどね)
何しろ120個ぐらいしか単語がないわけで
文法もコンパクトになるわけなのだけれど
それでもけっこう色々とセンスある表現ができるのだ
言葉というものの不思議かな
この間も書いたけれど
単語一つ一つの精密さというか
一つの単語はひとつの意味しか持たないようにするってけっこう難しい
というか基本的に不可能
だということをさっさと認めてそこから言葉を作ってみようとした
ということは
子どもが言葉を学ぶプロセスを考えてみたということかもしれない
子どもは難しい熟語も専門用語も知らないから
なんとかして簡単な言葉を組み合わせて
自分の言いたいものを示そうとする時期がある
「にゃんこ ぶぶぶー」 は つまり 「猫バス」 みたいなね
ちょっと違う角度から考えると
例えば「海」という単語
海って何だ?定義してください!
と言われたらあなたなら何と言いますか?
これって結構難しいでしょ
だって海は海なんだからね
それ以上説明のしようもない
だから海という言葉を今は使わないようにしたらどうなるだろう?
海という単語を使わずに海を表わす
この小さな言葉では海は
「大きな水」と表現される
つまり2語
もちろん
「青い水」でも良さそうだし
「騒ぐ水」「波立つ水」でも良さそうだ
(騒ぐとか波立つがこの言葉にあればだけれど)
でもプールだって
「青い水」「大きな水」かもしれないね
そして
実はプールは海であってもいいのさ
空を映して青く見える点では同じで
違いを言いたければ
プールはもしかして「四角い海」か
でなければ「作られた海」になるだろうね
何が言いたいかというと
ここにこのちいさなことばの一つの大切な「効用」があると思うのさ
海をいかにそれらしく表現するかを考えざるを得なくなる
「海」と書けば海が描けるわけではないだろうから
言ってみれば一個の単語をパラフレイズするんだ
それって詩とどこかで繋がっていると感じないだろうか
確かに「海」という語があれば
語を連ねたり通じるようにする面倒は省ける
けれどそのお陰で
「海」は海から
僕たちが今感じている海から遠ざかるのじゃないだろうか
わかるかな
これって僕にとっては凄く重要なことなんだな
このちいさなことばは単語数を著しく減らし
(固有名詞は別だけどね)
文法も凄く簡略化されている
(と言ってもプログラミング言語並みに整理されてもいるのだが)
そういうミニマム仕様で何かを表現すること
そういう練習していると
なんだか詩を書いているみたいな気分になってくるわけさ
ここで「水」はいろいろな事を表わすために使われる
つまり「水」自体は極めて曖昧
というか多くの意味を持つことになる
例えば「身体の水」は体液あれこれで
「身体の赤い水」は血液だ
それから「気違い水」は酒なのだ
いろいろと形容し修飾していって
より狭い意味を作るわけだけれど
それを言葉を使う人が作れるということでもある
ホピ族だったかな
アメリカ・インディアンの言葉で感動したのが
「まだ決まっていない水」と
「もう決まってしまった水」
最初の方は動く水で川だったり泉だったりするけれど
後のは水溜まりとか腐った水
同じように世界は
決まってしまったこと(過去)と
決まっていないこと(未来)に分けられる
今は?
今はないのさ
決まってしまったなら過去
決まっていないなら未来
「今」という言葉は日本語や英語などでは
というか僕たちの毎日の経験では
実は両方を意味することが多い
今の中には
決まってしまった過去っぽいものもあれば
まだ決まっていない未来も含まれる
そういうのが今なのだとしたら
わざわざ「今」という単語を使う必要はないのじゃないか
そんなことを考えさせられる
このちいさなことばの発想の原点にも
そんな思いがあるのだと思うのだ
さてさて
話し出せばキリがないし
僕は今夜はこれ以上は書かないことにする
でもちょっと面白い例文を書き写しておこうかな
皮膚が欲している それに触れることを
私は感じる あなたの身体の熱を
120そこそこの語彙しかない言葉だって
こんな表現ができるのだ
これはこのことばのレッスンに出てくる例文なんだよね
なんかさ素敵じゃないかな
どう思う?