いろいろなことばのじげんがあるのだとおもう
はつおんされたおととしての
ときにはふるえるこえとしての
それからかたち
しょうけいもじというかんじのかたち
かんじをくずしてつくったかなというもじ
あるふぁべっとのせかいとはちがうにほんごの
高校生くらいのときだった
ネットで何かを調べていて「ひらがな運動」とか
「ひらがなタイプライター」というものを知ったのだけれど
歴史の中では不思議な考え方があったものだと思う
日本語を廃止してフランス語を国語にすべきだとか
漢字の使用は複雑な筆記を要求するぶんだけ
日本人の思考を鈍(のろ)くしているとか
わからないわけでもなくて
ひらがなだけでかけないわけでもないのになと
そしてひらがなだけなら
奇妙な変換ミスに泣き笑いしなくてもすむのになと
何年か前
アメリカ人の大学教授が「ちょっと教えてくれないか」という
「わかることなら」と答えたら
「日本語にはHiraganaとKatakanaとChinese characterがあり
しかもアルファベットまで使うそうだが
タイプライターはどうなっているのかね
文字の種類分ぜんぶ並べてあるのだろうか」と
僕は笑って
「それは絶対無理だね
そんなキーボードを作ったらきっと
ペイトリオッツのグランドよりも広くなる
いやもっとかもしれない 海ほどだ」
そう答えたら
「じゃあ実際はどんなキーボード?」
「普通に使っているのはあなた方のとあまり変わらない
ただアルファベットを並べるように打てば
それが文字に変換されるようになっている」
「なんだって それじゃあ随分とコンピュータやワープロが
とてつもなく賢くなければいけないね
同じ音を繋いでも違う意味だってあるだろう?」
「そうだね ただしKanaはみな
子音+母音の組み合わせか母音だけだから
2バイト使えばすむわけで
漢字のほうは確かにそういかないね
だからある意味辞書をもったタイプライターが必要なんだ」
そうしたらその先生がこう言った
「僕はもう長い間 関数による変換 というテーマで生きてきたが
そんな複雑な変換を考えたら気が変になる
ところで全部合わせたら日本語の文字は何個あるんだね?」
「さあ 僕にもいったい何個あるのかわからない
まあ感じで言うと何万個もあるんじゃないかな」
「そりゃすごすぎる にほんじんはとてもとくしゅなみんぞくだ
ゆだやじんたちは きゅうやくせいしょをぜんぶ おぼえているから
てんさいがおおいというせつがあるくらいで
それだけのかずのもじをおぼえているなんて
そのうちのーべるしょうのじゅしょうしゃはにほんじんだらけに
なるかもね」
そこで僕はこう言った
「いや変換システムはまだかなり馬鹿なので
そのつど正しい変換だったかどうか人間が判断するのさ
まあ一々活字を拾っているような時代と余り変わらない」
「活字といえば日本語の活字は幾つあるんだね?」
「さあそれは僕にはまたわからない きっと倉庫いっぱいになるのだろう」
というか
ぼくはひらがなだけでどのくらいかけるものなのか
いつもてっていてきにためしてみたいとおもうのだ
おばかなへんかんしすてむや
あるふぁべっととひらがなをきりかえたりするのがめんどくさい
だいたいしゃべっているとき
ぼくたちはかんじもかなもつかっていないはずだよね
それなのにわかってしまうのだから
ひらがなだけだっていいんじゃないかとおもったりする
くとうてんもはいしして
すぺーすと かいぎょう だけあればいい とか
まあもっとも僕は漢字の魅力もわかっているから
むきになって漢字廃止論を唱えるつもりもない
漢字は見ただけで一発でわかるものね
その直観的様相が素晴らしい
alphabet deha nanishiro hitotsuno gainen ga
yatara nanmoji nimo natte taihenda
つまり
大雑把に言えば漢字の世界は瞬間派だが
英語の世界は一語にも何文字か必要でそれだけ時間がかかるのさ
そこで言いたかった意味だけでなく漢字の持っている
形の上のニュアンスが僕たちに与えるものも少なくない
とうへんぼくと唐変木 こうこうとと皓々と
あいのかたちと愛の形 かなしみと悲しみと哀しみと
数え上げればキリのない数のニュアンスの違いがあるだろう
かのアルチュール・ランボーは
アルファベットや母音の意味を作りなおしたらどうなるのだろうかと考えた
でもそれで詩が書けたのは彼が天才だったせいもあるけれど
20数個の文字とアクセント記号だけで成り立っているような
そんな言葉の世界であったからかもしれないね
言葉の音って何だろう
みそひともじのおとのあと
言葉の音って難だろう?
でぃくだんどん♪
The Castle of the Holly King by Shira Kammen