花の隙間を覗きこむ | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある








 小さくても何か発見があるときは
 ほんとうに偶然のように気づくものらしい
 でも偶然だとしても 
 その偶然には経緯がある

 光が入り込み
 影が伸びて
 そしてそこに放り出された花びらがある

 青い光もあれば
 赤いセピアの光もあって
 時間が流れる
 

 I

 僕は先日
 ある女性の写真を見た
 (木之下晃氏撮影・美術手帖11月号増刊 トーベ・ヤンソン)

 美しい白銀髪の
 時間を深く刻んだ顔は
 手に持った卵形の石に
 触れそうなまでに近づいて
 まるでくちづけているように見える
 自然が時をかけて研磨した
 美しい曲面とその重みを
 崇めているようにすら

 教えてもらって
 その女性があのムーミンを産み育てた
 トーベ・ヤンソンだと知った
 少し俯き加減で
 しかも上から撮られた写真の彼女は
 あの機知に富んだ少し皮肉屋の
 面差しはなく
 まるで石を崇める老いた修道女のように見えたのだ


 II

 そしてその写真のページには
 こんなタイトルがついていた
 教えてもらったら山田露結という人の句なのだそうだ

  蝶うつる眼で見る蝶の眼にうつる

 そういう考え方はよくわかる気がする
 a rose is a rose is a rose ・・・・・
 けれど
 この表現はそこに込められた相互性・再帰性の観点よりも
 もっと深いものになっていた

 どう深いのか説明するのは困難で(少なくとも今の僕には)
 あるいは
 説明なんかするべきでないから
 こういうふうに素晴らしくあるのかもしれない
 でもこれこそが「詩」というものではないのかと思うのだ

 見ているのは人であり
 見られているのは遥かに小さな蝶であり
 しかもその眼は
 人間の目に比べればひどく小さい
 その眼に人間が映る
 それはまるで象を針穴に通すような
 奇妙さがある
 けれど僕たちは忘れているのかもしれない
 僕たちの目も鯨や巨大な神殿を見ているのだ

 そしてもちろん言わなければならない
 美しき模様の翅をもつ蝶の眼は
 翅ほどにさまざまな色を感受する複眼なのだ
 その一つ一つの六角形の個眼は数十ミクロンしかない
 小さいゆえにその個眼の数は15000個ほどもある
 それぞれに捉える色も異なっている

 その膨大な数の眼に
 人間が映っていることを想像してみて
 僕は頭がクラクラしてきた

 15000個の眼が見ているということは
 15000人の人が見ていることと考えれば
 その視野空間は広大で
 僕たち人間ひとりなど
 いとも容易に包み込むほどなのではないか

 そしてまた
 15000個の眼に映っているということは
 もしかしたら15000個の鏡がそこに在るということなのだ

 俳人は「蝶うつる眼で」と「蝶の眼にうつる」を
 ただひとつ「見る」という動詞でつないでいる
 それがただの連結でないことは明らかだ
 蝶が私の眼にうつっていて
 その私の眼で見るとその蝶の眼に私がうつっている
 

 実はここには奇妙な繰り返しがあるのだ
 「蝶うつる眼で見る」という表現はおかしい
 なぜなら「蝶を見るということ」は「蝶が私の眼にうつること」と
 ほとんど同じことだと日頃僕たちは考えている
 ならばわざわざ「蝶うつる」と書かかずに「眼で蝶を見る」と書けばいい
 いや「眼で」も要りはしない

 だがそう書いてしまうと
 「私が見た蝶の眼に私が映っている」
 ということしか言っていないことになる
 それは一種のトートロジーだ
 赤鼻のトナカイの鼻は赤い

 しかも「見る」行為は私から蝶への
 ただの一方向の矢印についてしか語っていない
 蝶も私を見ているのだという思いが含まれず
 私と蝶の間に出来上がっている
 相互性というか相互に循環する関係が抜けおちてしまう
 だからこそ俳人は
 「眼で見る」の眼の前に「蝶うつる」を入れずにはいられなかったのではないか

 そこで鍵になっているのは
 「眼に蝶が映る」ことと「私が蝶を見る」ことが実は全く違うということなのだ

 III

 僕は昨夜『月が心を覗いてる』という題の絵を見る機会があった
 田谷行平画伯の
 時を湛えた

 月の光が仄かに降り注いで
 じゃがいもの中まで浸透してしまう
 いや浸透しなくても光がじゃがいもを包みこみ
 抱いてさえいる
 月は死んだ衛星だ
 覗きこんだりはしない
 相手が心であろうと
 じゃがいもであろうと

 でもこの「覗きこむ」という言葉の響きは何だろう!

 月が少しずつ見る角度を変えながら見ている
 近づいたり遠ざかったりしながら
 その心なきじゃがいもの内奥を

 IV

 そしてそんなことをぼんやり考えながら
 放り出された花びらを見たとき
 小さな
 他の人にとっては小さな発見であるかもしれない
 けれど僕には
 そのうちきっととてつもなく大きな発見であったと思うような
 発見があったのだ

 そう
 僕は花の隙間を覗きこむとはどういうことなのかを理解した
 花を
 あるいは花びらを覗きこむこともあるだろう
 ある存在を覗きこむということ

 トーベ・ヤンソンが卵形の石を覗きこんでいたように

 ただただそういうことであるのかもしれない

 それに似ていることだと言ってしまってもいい
 しかし
 おそらくは

 幾ひらもの花びらと
 石の文鎮と
 その他もろもろのものが作り出す配置
 つまり物ではない
 他から切り離された個別な存在ではない

 それを覗きこむとはどういうことなのかを理解したのだと思うのだ

 


           
        句と写真は マグノリアさんのページ

        「月が心を覗いてる」は ブルースカイさんのページ から 

        またおふたりから「なう」やコメントを通じてご教授いただきました   

        深~~~く御礼申し上げます♪

        今回はいつも以上に
        見に来てくれても「いいね」してくれない人が多そうです
        (笑いカワセミ ケ・セラ・セラ~)