la vie (4) 葦 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある







 『人間は考える葦である』
 使い古された言葉だ
 roseau pensant

 では葦がもし考えたら人間になるか
 いや
 葦は決して人間になることなど望みもしなければ考えもしないだろう
 逆に人間が考えることをしなかったら
 葦になれるのだろうか


 パスカルの言葉を誰かが引用するのを見るたびに
 僕はいつもと言ってよいほど
 イソップ / ラ・フォンテーヌの『樫の木と葦』を思い浮かべる
 Le chêne et le roseau
 いや僕だけではない
 きっと多くの人がそうするのではないだろうか
 なかには
 「人間は考える葦である」が
 寓話『樫の木と葦』の結語であると思っている人もいるかもしれない
 (ラ・フォンテーヌとパスカルは確か同時代の人だった)

 風になびき
 風のままに風にシンクロして揺れる葦は
 風に逆らって折れることはない
 そのことが如何にも思慮深げに思えて
 考える葦はラ・フォンテーヌの葦になってしまう


 フォルクローレでお馴染みのケーナの材料であるカーニャ
 実験考古学者と自称したヘイエルダールの「葦舟ラー号」の材料も葦
 どちらも僕にとってはかっての熱い夢だったので
 それに長らく人間の知識の保存を支えた紙の起源の一つである
 古代エジプトのパピルスも葦から作ると歴史で習っていたために
 僕の頭の中では「葦」は
 日本のものではない気がしていた

 でも日本は豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)
 葦とは切り話せない国の一つなのだ
 葦が一面に広がる水辺の国のイメージは原初的で幻想的ですらある
 それにあの夏の風物詩である葦簾(よしず)も字を見れば
 日本は今も葦の国なのかもしれない

 あちらの葦とこちらの葦と
 どちらも茎表皮部分は硬くて腰が強く
 その少し内側は多孔質でふわふわし
 中は簡単に中空になる
 それが湖面を渡る舟を作るには適しているとインカの人は感じ取って
 素晴らしく美しい葦舟を編み
 同時に葦に深く親しんで縦笛を作ったのだろう

 でも葦舟の葦などは実はカヤツリグサ科で
 日本の葦はススキと同じイネ科の植物なのだそうだ

 考える葦はどちらのアシだったのか僕は知らないが
 大池の岸に群生する葦を眺めていると
 葦が風に吹かれて小さな音で鳴り出しはしないかと思ったりする

 生きるということは
 風に揺れる葦か
 風に紛れる微かな音楽のようなものなのかもしれない

 そうやってこそ
 そう考えてこそ
 海を制するにはほど遠い小さな舟は
 さらに身軽になって
 大海を渡ることができるのだろう







  まだストックしていたカーニャと葦舟(民芸品)
カーニャは日本のイメージでは竹に近いかもしれない







             全部で4回の予定だったのですが
             la vie (ある一日の経過なんですけどね)   は 後もう一回続きます