背の高い救急用の寝台の上で
ダフネは目を閉じて動かなくなっていた
裂けた服の中から飛び出した乳房が
ケーキの上のホイップクリームみたいに白く
肩の辺りには血が滲んで広がっていて
ダフネは呼吸をしていないように動かなかった
泣かないと決めていた僕は泣いていた
涙がボロボロと止め処なく涙腺から溢れだす
溜め込んでいた涙がいい気になって溢れてくる
そんな感じがするほどだった
なぜなのかわからない
ダフネは死んだのか
「おい」と野太い男の声がして
「わかるか わかるなら何か言いなさい」と僕の頭の上で言う
声を出そうとしたのだが声が喉に絡まって前に出てこなかった
かわりに僕は何かボコボコと喉を鳴らした
「わかった しゃべるな 血が喉に回ってるんだ
唇の内側を切ってるな
意識が戻ったり消えたりするかもしれないが
戻ったら指を どの指でもいい 動かせるか」
僕は指が動いたかどうかわからない
でも動かす努力はした
そしてそれと同時に喉から声が飛び出した
「ダフネは?」
と僕は辛うじて聞いたのだと思う
大きな目が僕の顔の上にやってきて
「怪我はしているが処置はした
よほど敏捷だったからなのか頭は打っていないようだ
腕の骨はまだ調べてない」と言った
それから聞き慣れたあのひとの声がした
「銃創だと思うかね」
「わかりません でも だとしたら 相当遠くからだ
近くであのかすめ方をしたのなら焦げててもいいはずで
威力はかなりある
もっと別のものだったの可能性もあるでしょう」
それはきっとダフネのあの血のことだ
あの音
僕も発砲されたのだと思った
「屋根の上だ 他には誰もいなかった」とあのひとが言う
「いずれにしても ここに連れてきたのは正解ですね
市民病院じゃ すぐ警察が来る」
「そう思ったから 君に連絡したんじゃないか
まあ来たところでどうにもならんが
もう連絡はしたから大丈夫だろう」と
あのひとが僕の左側に回り込んで言った
「まあ 滅多にあることじゃない
吸引して」
と野太い声はあのひとに答えながら
誰かに指示を出しているらしい
「あなたが電話してくるときは碌なことがない
EEG持ってきて!」
それからまた僕の意識は遠のき始めた
ダフネは頭は打っていないとこの人は言った
怪我はどの程度なのか
そもそもここはどこなのか
病院らしいけれど
でもまだ誰も
僕も含めて死んでいないことだけは確かそうだった
それは死ぬかもしれないと思っていた者には
ある意味で朗報だったに違いない
けれど
死ぬかもしれないと思い込んだように
いやそれも僕よりもダフネがだ
そういう悲観的なというか運命めいた捉え方をしてしまうのは
僕がいけないのだと
はっきりしない頭のなかで僕は考えていた
いつのころからか
僕はそういう予感
常に大切なものを失う予感
あるいはどうやっても
本当に幸せにはならないに違いないという思い込みみたいなものに
とらわれるようになっていた
だから死ぬようなことではなかったのかもしれないと
今の今そう思いながら
尚もまだ最悪の推移が起こるような気がしてならなかった
こういう考え方はいったいいつになったら消え去るのだろう
死ななければ治らないようなことなのかもしれない
ダフネの怪我がどの程度なのか
あるいは僕自身の状態がどうなのか
そういうことを今は考えなければいけないはずなのに
次第にそれらのことはどうでもよくなっていった
そんなことよりも
どうして踊っていたダフネは落ちたのか
それだけが知りたいことのすべてだった
「私が予想したより事態は速く深刻になっているようだ」と
あのひとが言い
おそらく医師に違いない太い声の男が
「この子をあずかり続けるのには限界が」と言いかけると
言い終わるのを待たずにあのひとが
「いやダメだ」と唸るように言うのが聞こえた
僕の知らないことが
ダフネについて知らないことがある
それをこの二人は知っているのか
「不確かな状況で先回りして決めるわけにはいかん」と
あのひとが言い
それからやっと僕という奴がいることを思い出したように
「一種の大きな勘違いが起きているのだと私は考えているがね
知りたいだろうが今はまだKは知らんでいいことだ
ダフネは君のお陰で命拾いしたのだ
それだけは確かなことだ」
と言って僕の肩をぐっとつかんだのが分かった
でもそのお陰で僕は唸り
身体が反射的にビクンと跳ねたのを感じた
痛みがあった
程度は判然としなかったが
「剥離骨折ぐらいは確実だ」
ともう一人が言った
「意識を失ったほうがいい場面だな」
それから身体が腕の辺りからじわりと熱くなり
その熱みたいなものが全身に広がっていき
痛みが焦点を失って
僕は今起こっていることに
前以上に無関心になり
もうどうでもいい
きっとどうにかなるだろうと思うようになる
「気づいたようだ」
あのひとが言い
ダフネの声が何事か言うのが聞こえたが
その声は
子守唄のように緩やかな抑揚を帯び
やがて音が点線のように
断続的になっていった
ながらく感じたことのない安らかな
あたたかなものに包み込まれる感じがした
これが死なら
確かに死は安楽なものに違いない
そう僕は思った
起こさないでもらえるなら
すべては静かに終わるだろう