
夏には建物の中は冷たいほどなのに外は炎天
秋には外は早々と風が冬を告げているのに部屋の中は温かく
いや
その逆もあるかもしれない
夏には部屋の中は蒸し暑く外は爽やかな夕風が吹き
秋には家の中は日が落ちて暗いのに外では明るい風が
木々を装わせている
部屋の外と内について
僕が時々思うのは物語の内と外
僕たちは皆
自分たちの物語を書いている
自分たちの夢と希望を
自分たちの偽りない感情を
自分たちの悲しさと悦びを
自分たちのドラマと退屈を
外の現実とは少し違った
自分たちが生き生きと生きていける物語に
書き上げようとする
それはそれで僕たちの
物語る権利であり
生きる権利であるのだけれど
物語は何処かで
話が終わるようにできている
僕たちはその一区切りで物語を閉じ
次の物語へと旅立って行く
物語は終わるから美しくなれるのであり
終わらずに明日へと続いていく人生は
美しくも醜くもない
ただ続いていくだけだ
美しいかどうかの判断は
人生が終わった後にしかできないから
人生は再読も推敲も許さないので
美しく磨き上げることはできない
でもそれはそれ
物語のように僕たちが作ったものではないゆえに
見かけでは重くないのに
実はじっくりと重さを増していったりする
でも
その違いは
時には全く失われ
物語の秋が燃え上がるように色づいた葉を示すとき
ちょうど僕たちは色づいた樹の傍を通って
人生の道を歩きながら
その美しさに呆然となる
かってフランスのジッドは
主題のない小説
何か目的のあって書かれるのではない純粋な小説を目指したという
小説のためだけの小説
その小説の中の出来事が
デュ・ガールの長編の一こまと奇妙にそっくりなのは
そういう出来事がジッドとデュ・ガールの人生に
本当にあったせいなのだと考えてみる
一つの出来事が二つの物語になる
そう考えると少し楽しくなる
思い込みだけで幾つも作られる物語ではなく
確かに起きた出来事を
異なった角度からとらえた
それは一種の
掛け合いの即興詩
それから
僕は考えてみる
もしかして
ジッドの探していた純粋小説は
彼自身の人生だったのではなかったかと
テーマもなく
主張も目的もないけれど
ただその一ページで人を愛し
燃え上がる秋の葉の色に感じ入ることのある物語