ハクは以前現れたとき
ユニィオがすぐ戻ると言ったけれど
ダフネの溺愛した
というか耽溺したユニィオは戻って来ず
それはそれでダフネのためには良かったのだと思うけれど
事実としてユニィオが戻らなかったことは
ハクが僕の白昼夢だという証明のように思っていた
だから今回も
でもなぜダフネが居なくなったときに
僕はハクの白昼夢
いや夕暮れの夢だから薄暮夢か
を見たのだろう
そんなことを束の間考えているところへ
亭主があたふたと入ってきて
「ダフネさん見つかりましたか」と言った
僕はダフネのことを亭主に言ったろうか
さっき出会い頭に二言三言話したけれど
部屋から出たのが僕の幻覚か何かならば
誰がダフネのことを話したのだろう
「言いましたっけ」と僕
「血相を変えて出て行かれたから
何事か灯りのことでご迷惑かけたかと
伺ってみれば
で私も店の手の空いているのにも探させているが
駐車場辺りには居なかったってことですな?」
「駐車場?」
「さっきドアのところで見回しておられたから」
「ああ」と僕
ならば僕はそこまでは実際に行ったのであり
この部屋の中で夢を見たわけではなかった
でも
僕はなぜダフネが失踪したような気になっているのだろう
何処か
それこそトイレに行ったみたいなことなのかも
そう思い直したかったが
おそらくそれは
無理なのだとすぐに思い知らされた
椅子に座ったまま
僕の方を見ることもしないで
あのひとが少し早口にこう言ったからだ
「いや
ダフネは連れて行かれたかもしれない
もしものことを考えて
連絡はしてある」
まるで裁判官判決みたいだと僕は思う
違うのは何の予告も無い判決だということだ
『連絡』『もしも』という言葉だけが
頭の中で脈打って
そのせいで気絶するんじゃないかとさえ考えたほどだ
あのひとはどうしてそう考えたのか
暗闇で目が利くのでない限り
何かを見たのでない限り
あの緑の石か
そうだとしても誰に連絡したと言うのだろう
「何か知っているんですね」と僕
あのひとは言い淀みもせずにすぐにこう言った
「いや分からん 勘で物を言っているだけだ」
「でも 『連絡した』っていうのは」
「だから
もしもだ
そうでないかもしれないから
明確なことは言えん」
「誰に連絡したんですか」と僕
「書記官だ 家に来た
ダフネの国籍は日本ではないのだから当然だろう」
「そんなに重要なことなんですか」
「重要だと言った覚えはないぞ」
「大使館なんかじゃなくて警察ではないんですか」
そう僕が言うと
「この場合 警察に言っても無駄だ
そういうことではない」
それからやっとあのひとは僕を見て
「座ったらどうだ」と言った
「座るですって?」
そう言いながら僕は椅子に座らざるを得なかった
座るというか
腰が抜けたみたいな脱力感だった
Aさんは僕たちの会話を聞いていたが
一言も口をはさまずに居る
僕が外まで行っている間に
あのひとがAさんには何か言ったのだろうか
でも口は出さなかったけれど
Aさんの表情は事態を把握しているとは全然思えず
僕がガタンと音を立てて座ったせいで聞こえなかったのか
あのひとが気づいたように
上着の内ポケットに手を突っ込んで
携帯電話みたいなものを取り出した
初めて見る
だいたい携帯電話なんか持っていたのか
それにしても縦に長い形のプレート
でもディスプレイらしいものは見えず
キーが並んでいた
耳に当てるとあのひとは「oui」とだけ言い
それから黙った
十秒
二十秒
電話らしいものの向こうでは誰かが話し続けているのだろう
あのひとは何も言わずに聞いていたが
聞きながらときどき窓の外を見る
三十秒
いや一分近かった
僕は聞き取ろうとしたけれど
店のBGMやその他の音で声は聞こえなかった
それからあのひとが小さく
多分「si」と言って
また内ポケットにしまいこみ
ゆっくりと言った
「可能性が高くなった」と
僕は言葉を失って
いや言葉を失うというより
何をしたらいいのかが全く分からず
ただあのひとの顔から目を背けて
窓の外を見た
木々の影は静まりかえり
風もないのだろう
秋の葉ひとつ落ちる様子もない
何だか物凄く
時間の歩みがのろいような気がした