秋になると世界が静かになると言う人がいる
鎮静の季節だと
でも僕はそんなことを思ったことがない
秋には
いつも
掻き乱される
説明にしにくい感情に
終わり行く夏
色づいてやがて落ちるであろう葉
悲しいくらい快く涼しくなっていく風
失われることの予感
「愁」という字は
まさか「秋の心」ではないのだろうけれど
アムステルダムのダム広場
雨の夜だった
路面が逃げ水のように光っていた
「アムステルダムのダム広場」なんて聞くと
なんて悪い語呂合わせか駄洒落だと感じてた頃には
それがアムステルダムの名前の由来だとは知らなかった
アムステル川を塞き止めたダム
僕の中ではいつもノートル・ダムと重なって
アムステルダムは女の人の街だったか
すっかり威厳があってもう新教会という名前が不思議な大聖堂と
王宮とに面した広場の路面が
時折通り過ぎる乗用車やバスの
頭と尾の照明でてかてかと光るのだが
部分照明になっているせいか
光の向こうに暗い湖面が広がっているように思えた
その上をゆったりと進み行く人影があるから
湖面であるはずもないのに
水の印象が強くて
人が水上をキリストみたいに
歩いて行くように見えた
つまりふわふわと
威厳もないが緊迫感もない
やわらかな水上のキリストたち
夜の歩き方なのかもしれない
急ぐ
実体感のない歩行
その広場の片隅
大きなビルの右端の一劃
ちょっと目に付くピンク色のサインを読まなくても
そこがパブだということはすぐにわかる
雨のなか傘さして通り過ぎる人たちもいるけれど
少しゆっくりと
本当は戸惑ってなんかいないのに
躊躇いがちな歩みでやってくる数人連れが入って行き
入り口付近はガラス張りなので
中で音楽に合せて照明やフラッシュライトが点滅すると
雨の街の中へと子どもの稲妻が道へと走り出してくるみたいで
人と光の三々五々
出て来る二人連れの幾組かは
酔っているふうでもないのに
なんだかふらふらと無駄な歩みで
右へ左へ
この後は言わずと知れたところへと行くのだろうに
その前の時間を楽しんでいるみたいに
何と呼ぶのか知らないが
ホテルならドアマンとかドアボーイそれともベルマン
そんな感じの人物が入り口前の
稲妻と暗闇の境目に
立っている
薄い透明のレインコートを来てフードまでかぶっているので
最初よく分からなかったけれど
女の人だった
ホステスとか客引き的なスタイルでもなく
パンツスタイルで
まあ背筋もすっきり
動きには奇妙な美しさ
ときどき何か手を動かしたり
姿勢が変わる
大抵そういうときはレインコートのポケットから
何だろうジタンか
青いパッケージのフィルタ無しのシガレットを口に持って行き
とても小さな指先ほどしかなさそうなライターをひねって
手品師が指の先から炎を出すみたいにして
火をつける
でもなぜか長くは吸わずにすぐそばの灰皿スタンドに
放り込む
それをまるで人形みたいに何度も繰り返して
悪いことに
いやそうでないかもしれない
良いことにか
僕はその夜は一滴も呑んでなく
おおっぴらに呑める歳でもなく
いや他の理由もあって完全に素面だったから
いや素面だったにもかかわらずだな
急にその女の顔が見たくなった
近くの公園を意味もなく歩いた後で
しばらく背の高いモニュメントじみた高い柱の下に雨宿りしながら
ぼんやりと時々光りだす地面の上の湖面を眺めていたのだけれど
気づくと
ちょっと離れたところにいる女をいつのまにか眺めていた
長く眺めていた結果なのかどうかはわからない
でも
どうしても
レインコートの透明なフードに見え隠れする
その女の顔が近くで見たくなった
寒かった
その肌寒さを急に思い出したのだ
秋近い
そして恐らくは特別になる今夜
それと同時にもう一つ思い出したことがある
いや違うな
そのときにはまだ今日も今年も来ていなかったのだから
そのときには僕にはまだこんなふうには思えたはずがない
また特にそのことを強く意識したわけでもなかった
ただふっと印象的な目だとは思ったと記憶している
そのベルガールみたいにずっとパブの前に立っていて
頻繁に煙草に火をつけては灰皿に放り込んでいた女は
近づくと時折通りかかる通行人や
パブに出入りする人たちに
目だけで微笑んでいた
でもその微笑みはすぐに消える
「尽きる」といった感じで目が逸らされる
いったい何のためにそうしているのか
僕は結局そばに行っても分からなかった
でもその女は
僕と目が合うと
色々な通りすがりにしたと同じような微笑みを見せ
でも違ったことは
目を逸らさずにじっと僕を見続けた
僕は僕で
気恥ずかしさで目を逸らしていい場面なのに
目を逸らせずに
そうやって
どういうわけかものの一二分も僕たちは見つめ合っていた
完全に女の方が歳上だったし
この見つめ合いの意味はゼロ
その後でやっと僕は目を逸らし歩き始めたのだけれど
そのとき女がこう言ったのだ
「オー・ルヴォワール」
店の人がまた来てくださいねと言ったのとは全く違う
元から知っていた間柄の人間が
別れ際に「また明日」というような気楽さで
それなのにぐっと胸にくる
喉の奥から胸の奥から出て来るような深い声で
もう何年も前のことだから
それきり忘れてしまったことだった
でも今そのことを思い出した
その女の人の瞳
ダフネの瞳にそっくりだった
そのときは僕にはダフネのことなど知る由もなく
今だから「そっくり」などと言えるのだけれど
でも何故か
僕にはそのことが
明らかに数年前の出来事だから
「思い出した」と言うのだけれど
ずっと未来
何だかダフネのずっと未来を見たような気がする
未来のデジャ・ヴュ
明日の思い出
でもそんなはずもない
全く無関係な二つの出会いが
なぜか
とてつもなくつながっているような錯覚
Aさんの「すまない」という言葉を聞いた僕は
きっとそれに耐えられなかったに違いない
だから
何の関係もない出来事を思い出し
その思い出にしばし耽っていた
それだけのことにちがいない