お釈迦さまの誕生を祝う灌仏会を
日本人は花祭りという
仏像の多くは蓮華を持ち
ときには蓮華座に座して微笑む
仏や菩薩を言祝ぐために散華する
紙の花びら一枚を僕は懐かしむ
慶事に花びらを撒く習慣は
おそらく今も
かの天竺で続いているのだろう
いや大きな葉の舟に花を載せて
河に流す習慣もあった気がする
それほどまでに花を愛おしむ
それは花たちが可憐に咲き
また儚い
そのためなのだろうか
いや可憐でなく毒々しく
儚くもない花たちですら
あれほどに美しいと思えるのは
何か理由があることなのだ
けれど僕にはその理由が何でもよく
僕には花を美しいと感じる遺伝子が備わって
いるのだろうと思う日がある
でもそれは僕だけでなく
この世界に生きる者すべてに
備わっている遺伝子にちがいない
生きて花開き
次世代のことを夢見つつ
露の如くに消えてゆく
花はただ花自体であるだけでなく
僕たち自身のことでもあるのだろう
だからなのかは分からないけれど
僕は僕が死ぬ日には
葬儀に来てもらうのではなく
皆がそのときに居る場所で
一輪の花咲かせるために
種を蒔き
あるいは苗を植えてほしいと思っている
そうしてもらえれば
きっと僕は来世では
花になるかそうでなくても
花を支える枝か茎の一本にはなれる
来世を信じていない
この僕がそんなことを言うのも奇妙だけれど
花がまたひとつ咲くことが
僕の来世なのだと思いたい
これは僕の遺言書ではない
それどころか
これから死ぬまでの年月に
そう生きてみたいという願い
果たし得ぬと思うが故に尚更に
激しくなりゆく願いなのだと
今は言うことができる気がする