窓の外に | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 窓の外は見渡す限り夜だった
 街の灯りは見えず
 ただ闇が広がり
 月はなく
 ただいくばくか瞬く星の光が平野の物陰を
 わずかに浮かび上がらせ
 そこに夜が広がり続けているのを教えていた

 たぶんあれは小さな林
 それからあそこには畑があり
 土のふくらみをくぐるように艶かしく黒々と光るのは川に違いない
 時折 空から降りたったように
 霧か雲か定かでない白い広がりが土地の上に佇んでいるのが見え
 ゆっくりと暗闇の中を遠ざかっていった

 繰り返す低音の破断音
 まるでこの小部屋だけが揺れながら
 夜を抜けて走っているようだ
 静かに
 本当に過ぎていくのかどうかもわからない時間の経過
 ただ低い音
 いや音というよりは振動が
 息を殺した呼吸のように
 僕の身体を出入りしている

 僕の両足の間に
 Mのふたつの膝が寒そうに並んでいた
 暖房は十分暖かいと思えたけれど
 太い毛糸を編んだ上にキルティングを重ねたコートを着て
 Mはうつらうつらし
 ときどき薄目を開けては窓の外を見るともなく見る
 もう二時間近く
 僕たちはふたりきりで向き合い座ったままでいた
 寝台に横になることもしないで
 Mは座ったまま
 まどろみと目覚めとが行き来するのを
 楽しんでいるように思える
 いやそうではないかもしれない
 じっとそういう経過を耐えているようにも見える

 列車はなおも走りつづけ
 頭の中では
 軽やかに空を舞うように高い音と
 車体の振動のように深い低音が入り混じるリュートの弦が
 踊り手のいないジーグを繰り返し歌っていた
 この曲を作った者は
 これを慰めにしたのだろうか
 それとも次第に湧き上がってくる感情を
 羊腸の五線譜の上にただ書き留めたのか

 確かにリュートの音はギターの音とは異なっていた
 高まる感情を押し殺したように穏やかに柔らかく
 そして静かに鳴りながら
 快い緊張を高い倍音に乗せ
 時間の中をきれぎれに舞い続ける
 それはまるで震える谺

 たったらたったったらたあた ららあら だだた

 天使の楽音と呼んだ人は
 これをこの世とあの世の境界線上の音だと思ったのか
 しかし
 この世に生きることの喜びと悲しみと虚しさを
 歌わない音楽はない

 なぜ旅することになったのか
 今も僕にはわからない
 
 あの雨上がりの夜
 誰も予想することのなかった出来事が起きて
 皆の生き方をこともなげに
 すっかり変えてしまったのだ

 時折
 車体が風を切るのか絹を引き裂くような高い音が
 窓ガラスのすぐ外を流れていった

 心臓の鼓動が時を過ぎる列車の通奏低音と重なって
 風音の絹をわななきながら身にまとう

 なぜ旅することになったのか
 今も僕にはわからない

 けれど
 いつも誰でもがそうであるように
 わからないままに
 列車は走り続けなくてはならない

 それが旅というものの
 変わることのない確かな形
 
 なにゆえにかと問うてはならぬ