子犬のダフネ | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 素早い音が転がり続け
 かと思うとふっと立ち止まって反動を付けるように
 そしてまた速い音が転がりつづける
 立ち止まったときの
 速さの緩め方もまた走り出すそのスピードも
 きっとショパンの残した楽譜どおりではないだろう

 精密精緻な曲に思えて
 どこかでその精緻さを捨ててしまいそうな部分がある
 通称子犬のワルツは明るい軽快な曲だと言うけれど
 僕はときどきこの曲に
 老いた者の悲しみを感じることがある
 ショパンは美しく
 精彩繊細な工芸品のようだと思えるときもあるけれど
 僕はショパンのそういう美しさは
 いつもどこかで暗い苦しみや
 血の流れ出すような危うさを持っていると思う

 Mが半分悪戯みたいに弾き始めた子犬のワルツは
 ダフネの耳に刺激を与えたのか
 犬のようにはターンを繰り返しはしなかったが
 小刻みな素早いステップをダフネは踏んで
 リビングの空いた床の上を進んでは
 ふっと止まる
 止まったときには素早く両腕が空気を抱くように伸ばされて
 それが走り始める直前には頭の上まで持ち上げられた

 「わあ ダフネ 素敵」
 そう言いながらMはピアノの光沢のある板に映った
 ダフネの姿を追いかけていた
 そしておかしそうに笑いながら
 テンポを上げたり妙に落としたりした
 なぜおかしそうに?
 それはダフネが実に見事にそのテンポに沿って
 速くなったり遅くなったりしたからだ
 「ねぇ K ダフネはちゃんと私に付いてくる」とMが言う
 日頃は人にはなかなか合わないダフネのテンポが
 こういう形では
 まるでピアノの神経がダフネにつながっているかのようだった
 おそらくはそこにダフネの両親も校長も
 ダフネの明日を見たのに違いない

 Mがあまりに面白がって繰り返し何度も子犬を弾くので
 僕はそれを止めなければならなかった
 「あんまりガンガン弾くなって言ってたじゃないか」
 とか
 「ダフネはまだ体調が本調子じゃないんだろ」と言って
 でもMが「そうだった」と言って弾くのを止めようとすると
 ダフネがピアノの傍に戻って来て
 スタンバイして「さあ もっと弾いて」という表情をする
 でもそういう止めようとして再開する三度目には
 とうとう子犬は足がもつれて
 ダフネは珍しくよろけ
 折よくソファの前だったのでソファに転げ落ちた
 
 ダフネが自分の世界で組み立てるダフネの世界
 それはときどきこうやって
 誰か別の人間の世界に熱く接することがある
 その時が熱過ぎて
 疲れてしまったようにダフネはまた自分の世界へ
 この緩急を
 この自他を
 ほどよくブレンドできたならと僕は思って
 それが難しいのは自分でも百も承知だろうと自分に言う

 ソファに倒れ込んだダフネは
 不満そうな顔をしていた
 それは多分ピアノが止んだことにではなく
 自分の動きに対してだったはずだ

 それを察したようにMが言う
 「ダフネ お風呂 お風呂に入ろ」と
 ダフネはそれに反応しなかったが
 Mが傍まで行って「お ふ ろ」と言って
 服を脱ぐ仕草をするとダフネは立ち上がり
 「一緒に入ろうね」とMが言う
 「またギャアギャア言うハメになるんじゃないの」と僕
 「大丈夫よ もしもまたそんななら
  今度は私がダフネのかわいいおっぱいを
  もみくちゃにしてあげるわ」
 ときどき僕は
 そういうMに少し常軌を外れていきそうなところがあると思う
 ほとんどの場合それは言葉の遊びで
 実際にはそんなことは何一つ起きはしないのだけれど

 少し以前と変わったとすれば
 少なくともここに来て
 あるいはイギリスから帰ってきてから
 Mはそういう冗談をシラフでも言うようになったところだろう

 「焼きもち焼いた?」とMは笑って
 「そのくらいならKも一緒にお風呂入れば」と
 僕はにべもなく「いや いい」と言う
 確かに僕たち三人は家族ごっこをしているけれど
 僕がダフネの親か兄貴になれたとしても
 そしてまたMがダフネの姉にあるいは母のようになれたとしても
 僕はMの兄貴や親にはなれない
 僕は両親と温泉なんかに一緒に行ったことはなかった
 和気あいあいと風呂の湯に浸かって
 家族がぼんやりと時を楽しむのはきっと素晴らしいことだろう
 
 でもそういうことになることも
 そういうことになったとしても
 まだ数多くのステップを踏んでいかなければならないと
 僕は少し冷めた気分で考える

 子犬がくるくると自分の尾を追っかけている姿は
 愛らしいだろうが
 でもそのこと自体は
 自分で自分の尾を追いかけること自体は
 自分の身体の一部を自分のものだと理解できないことでもあった

 僕たちは今
 ほんとうに自分たちが置かれたこの状況を
 その中にいる自分自身を
 果たしてどれだけ分かっているのだろうかと

 そのときダフネがくるりと向きを変え
 僕の方に戻ってきて
 手を伸ばして僕の胸を押しながら
 微笑むように「ファントモ」と言った

 それは少し甘える子犬のようにも見えた
 でも僕には付いてくる子犬を振り切れず連れ帰って
 結局手放した経験がある
 ダフネをその子犬のようにはできないと
 考えているとMが聞いた
 「ねぇ その『ファントモ』は何なの?」と