いっぱい泳いで熟睡したダフネは
早起き鳥に変身して
まだ薄暗いうちから庭を歩き回っていた
何かを探しているのだろうか
二階から見ると
花水木の陰や背の低い庭木の中を
次々に覗き込んでいる
でもどうやら何か目的があるのではないらしい
きっとコロポックルでも探してみたくなったのだろう
一階に降りると
雨戸が閉まっていた
嵐のような天気でもない限り
あのひとは窓を閉めなかったので不思議な気がした
テーブルの上にメモ用紙が一枚
蛙の文鎮で押さえてあった
「二日ほど留守にする 東京」
朝早く出て行ったらしい
陽が昇りきっていないせいもあって
一階は薄暗かった
こうして薄暗くしていると
部屋というものが不思議なものに見えてくる
なぜ人は家を造り
壁で外から隔てられた空間を住処としたのだろう
身を守るためにか
でもそれだけのためとも思えなかった
外から見えない場所が
落ち着いた時間を過ごすためには必要だったのか
車で出かけて海岸とかで
眠ることがあった僕は
目を覚ますと自然の中にいる自分を感じて
嬉しくなる
目を覚ますと壁やカーテンしか見えない暮らしは
どこか窮屈だと思う
でも今朝はこの暗がりが心を静める
あのひとも不在
ダフネは外だ
そのうち中に戻ってきて
また泳ぎに行こうと言うのだろうか
それはまた
きっと幸せな時間になるだろうと思いながら
イルカのダフネを毎日見ていたら
昨日のような気持ちのままでいられるだろうか
繰り返されない
ただ数度の幸せのほうが
人の心を強くしびれさせるのではないかと思ったりする
ダフネの底抜けの笑顔を
出かけるにしても朝は雨戸を開けておこうと
雨戸を開けて庭のダフネに声をかけたら
どんな顔をするだろうか考えながら
雨戸の方に歩いているときに
庭側の飾り棚の上を
ダフネの姿が横切った
一瞬何が見えたのかわからない
ダフネがいつの間にか中に入ってきたのか
水晶玉だった
友人にもらったヒマラヤ水晶なのだと
あのひとが言っていた記憶がある
斜め下方にうっすらと白い波のように
不透明なところがあった
ダフネがその波の上を歩いていた
古い雨戸の板に開いた小さな節穴から
すぐ傍に置かれた水晶玉の中に
光が差し込み
ピン・ホール・カメラのように
外の景色が水晶玉の円いスクリーンに映っている
ちょうどその節穴の前を通るたびに
小さくなったダフネが球面の内側を
通りすぎていく
きっと球面の内側で光は反射していて
球の中に閉じ込められているかのように
ダフネはくるくると回るように通り過ぎる
陽が昇るにつれて
球形の世界も明るさを増し
その小さな内部にダフネが入ったまま
出てこないなら僕はその球を
ずっと手で持ったままでいたいと思う
そんなことを考えていたら
偶然ダフネが前を通るとき
節穴を覗き込んだみたいに
ダフネの目が大写しになる
綺麗な灰色の瞳
ダフネは外にいるのに
雨戸で見えず
代わりにダフネの映像が水晶玉の中に居る
不意に僕は気がつく
人の意識も似たようなものにちがいないと
自分の限られた視野のなかに映る世界の断片が
自分の中にあるかのように錯覚する
その錯覚は水晶の中のダフネのように美しく
世界を僕の中に閉じ込めて
つい手放したくないと思ってしまうのだ
でも
どんなに僕の思いに染められていようと
映像は映像に過ぎない
心の中にはダフネはいないのだ
生きている
あの生き生きとしたダフネはそこではなく
庭に
生きて
外の世界にいる
ダフネを愛することが
水晶の中のダフネを愛することであってはいけないと
抱きとめるのではなく
飛び立たせることが
自由を与えることこそが
生きていく命を愛する形なのだと
僕は思う
昨日の迸るような命の
甘くさえ感じられた情熱を
初夏の枝のようにさらに空の先へと
伸ばすことこそが