別の日にしてもいいと思っていたのだが
ダフネの勢いに負けてプールを探すことにする
バレの学校に行く道を通ると
ダフネが学校に行くのだと思うかもしれないと
少し遠回りした
プールの看板を何処で見たのかはっきりしなかったが
とにかく周辺を走っていれば見つかるだろうと
でも探しまわる必要はなかった
看板の代わりにプールの前を通りかかったからだ
夜は8時までだったけれど
まだ昼を少し過ぎた時間
駐車場に滑り込むと
道からは見えなかったプールが見えた
温水プールで一応屋内なのだけれど
半円筒形の屋根は透明のガラスかプラスチックで
下の方だけが不透明になっていたが
日射しを浴びて泳げる
それほど多くの人影は見えなかったが
泳いでいる音とときどき声が聞こえた
ダフネは水の音に敏感に反応した
市営ではなかったけれど
特に会員資格とかにうるさいふうでもなく
受付のおばさんも感じのいい人で
もう浮き浮きして飛び跳ねているダフネを見てにっこり笑う
僕が着替えてくる間ダフネには待っていてもらおうと
ベンチのところまで連れて行って
座っていてというジェスチャーをする
それでもダフネは立ったり座ったりする
僕が更衣室から出てきたときもその調子で
何度立ったり座ったりしたのだろうと
少しおかしくなる
こういうところは年齢よりももっと子どもじみている
ダフネを更衣室に連れていくと
あっと言う間に水着姿で出てきた
服は畳んで手に持っていた
受付でビニール袋を借りる
更衣室経由でプールに行くようになっていなかったのは
少し嬉しかった
入り口のシャワーも男女兼用だったので
余計な心配もしないですむ
けっこうお誂えむきなところだなと僕は思う
シャワーも適当な温かさだったが
それがちょっと問題だった
ダフネはシャワーを少し浴びた途端
ひょいと肩の辺りを引っ張って
水着を脱ぎ出したのだ
きっとダフネには温かなシャワーは風呂なのだろう
泳ぎにきたのだと思えばこそ
あれだけはしゃいで落ち着かなかったのだろうと思っていたけれど
まだまだ僕にはダフネの行動が予測できなかった
仕方なしに僕は
腰までさがった水着を引っ張り上げて
首を横に振る
なぜなのという顔のダフネに僕は泳ぐ真似をする
「プールだよ プール」と言ってはみたが
もしかしたらダフネには海の経験しかないのかもしれなかった
それゆえもしかすると
ダフネは波のないプールでは泳がないのではないかと少し考える
ダフネが僕の手を引っ張った
プールには十人足らずの人
ほとんどが小学生か中学生くらい
ダフネには年相応のお仲間だと思う
けっこう大きなプールだったし
思ったとおり天井からは抜けるような蒼空が見えた
さあ ダフネ 泳げるよ と僕は頭の中で言う
でもダフネはプール・サイドで立ち尽くしてしまう
やはり海ではないのだろうか
あるいはもしかすると
ダフネにとって重要だったのは「ボート」のほうだったのかもしれない
ダフネの国の海に誰かが船を浮かべて
そこから飛び込んで泳ぐことだけが泳ぐことだったら
船のない僕の苦しまぎれの妙案は
空中分解してしまう
子どもたちの歓声がする中で
僕の頭の中では色々な可能性が行ったり来たりした
「おいで」と僕は先にプール・サイドに座って
足をプールの中に
ダフネはそれを見てわかったというような顔をする
でもそれほど嬉しいという素振りでもない
ダフネが僕の隣に来て座った
僕は足をばたつかせて水しぶきを上げて見せる
ダフネも足を温水に突っ込む
突っ込んでから
またダフネは手を水着の肩に持っていった
今度は僕は予測していたので
ダフネの両手をつかんで膝の上に置く
ダフネはまた分からなくなる
こんなに温かいのだからお風呂でしょとでも言いたげだった
せっかく水着を買って
プールまで来たけれど
そのプールの水際まで来て泳ぎ出せないダフネ
それはそのまま
ダフネと僕の関係に似ている気がする
通じているようで通じていない
通じているようで
その繰り返しがずっと続いてきたわけだった
それがまたここでも繰り返される
真新しい場所でもあるのだから
すぐにダフネに泳げというのは無理なのか
ダフネは足を引っ込めて
プール・サイドで膝をかかえてしまう
それでも僕も少しずつそういうダフネに慣れてきていた
バシャバシャと水遊びしてばかりの子が多くて
泳いでいるのが見えないせいもあるかもしれないと
僕だけプールに入って泳ぎ出す
20メートルくらい進んで水の中から振り返ると
ダフネが立ち上がって後じさるのが見えた
やっぱり無理なのかもしれないな
また何度かくればきっとダフネもわかるだろう
そう思った瞬間
後じさって水から3メートルくらい離れたダフネが
ぴょんと跳び上る
跳び上って走り出し
飛び魚みたいに水に飛び込んだ
ピピッと監視員のホイッスルが聞こえる
ダフネがもし泳ぐつもりなら
あっという間にここまでくるだろうと
僕はあの海のダフネを思い出し
あわてて水の中に潜った
光が煌めいて揺れる水面の下を
水色のイルカのような生き物が
尾鰭を上下させながら
凄い速さで近づいてきた
近づくにつれ
ダフネの円い灰色の瞳がはっきり見える
それからこれは決して気のせいでないと言えるのだけれど
あの日と同じ
底抜けのダフネの笑顔
ばしゃんと顔を上げてまた潜り
僕のすぐ傍をくるりと腹をこちらに向けて
通り過ぎていく
顔を水から出してみると
イルカのダフネはもうあちら側のサイドに近づいていた
なぜだかわからないけれど
僕はイルカに触ったときのことを思い出した
どこかの水族館のイルカ・ショーの後
イルカに餌を与えたり触ったりできる時間があった
海の生き物で魚の仲間だから
きっとぬめぬめとしているのだろうと
頭に触るとイルカの肌は意外にもざらざらしていて
魚とは全然違う感触だった
撫でさせるためにスロープ状のプール・サイドに
這い上がってきたようなイルカの目を思い出す
優しい親しげな
どこか笑っているような目
その記憶の中に焼き付いていた目と
よく似た目を僕は今見たのだった
泳ぎ出すとダフネは止まらなかった
僕ものろまな泳ぎ手ではないつもりなのだけれど
まっすぐコースに沿ってではなく
縦横に移動するダフネに追いつくのは大変だった
それでもすぐ隣を泳いでいると
ダフネがまるでふざけているみたいに
急に方向転換したり
泳ぎながら僕に抱きついて来たりする
ダフネの水着の感触は
どこかイルカの肌に似ていた
けっきょく監視員は
「飛び込みはダメですよ」と言うために
30分は待たなければならなかった
あの日の突然の海は別にして
しばらく長く泳いだことがなかった僕は
さすがに息が続かなくなり
プール・サイドに這い上がる
それからもダフネはまだ20分近く
プールの中を泳ぎつづけた
やがて僕のところまで来ると
水の中からひょいと頭を出して
僕の膝の上に顎を載せ
イルカのような声をたてて笑った