桜色のダフネ | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 「君はダフネがサヴァンだと思うかね」とあのひとが聞く
 「サヴァン? ああサヴァン症候群ですか
  そういう意味ならダフネは普通の子だと思いますよ
  辞書を全部覚えているわけでもないし」
 「しかし先日のパズル
  あれはちょっと普通とは言えないだろう」
 「それはそうなんですが
  オーティズム イコール サヴァン じゃないでしょうし
  確かに記憶力はよさそうだけど
  世に言われるサヴァンほどマニアックなところはないですね
  あの変化嫌いと記憶とが関係ないとは言えないにしても」

 「絵は?」
 「バランスが狂ってるところはあるけど正確さはありましたね
  それも景色を見ながら描いたというより
  一瞬見て覚えていて一気に描いた感じかな
  それもサヴァンじゃなくてもオーティズムの子には
  ありがちなことだって何かの本で読みました
  それに『賢い白痴』という呼び方から由来している言葉で
  僕は好きじゃないんですよ
  サヴァンという言葉
  余計なイメージが染み込みすぎていて
  ダフネは普通の子になっていくんじゃないかな」
 「それは君の期待というか単なる願望かね
  それとも最近何か変わった?」

 僕は『シュミレ』のことを話したものか少し迷う
 もうかなりの確かさでダフネは紫色を
 全然違うものに共通する色だと理解したのだと
 僕は思っていたが
 それをまだダフネと僕の
 というより僕だけの秘密にしておきたかった
 ダフネ自身はそのことの意義を理解はしないだろう
 少なくとも当分は

 それは僕のダフネに対する気持ちの拠り所になりかけていた
 個々の物にとらわれず物を超えた性質
 共通項を見出すことができたなら
 この先はもっと速度をあげてダフネは変わっていくはずだと
 僕は考え始めていた
 そうなることがいいことなのか
 ダフネにとって僕にとって
 それはまだわからなかったけれど
 言葉の通じないまま
 ダフネの意思も知らぬまま
 ダフネを僕のそばに置いておくことに
 僕は耐えられなくなっていたのだろうか
 『普通の子』という言葉に僕は
 何かの期待を込めていた

 「君は昔自分で読んだ本だけでなく
  読んでもらった本の内容も文言も覚えていて
  よく人を驚かせた子だったよ
  教科書の何頁の上から何行目に書いてあることと
  違うとか指摘して先生たちに嫌がられていた」
 「ああ そんなこともありましたね
  でも僕は今ではまったく平凡な記憶力しかないと思います
  過ぎ去ったんですよ
  ダフネもきっとそうなるんじゃないかと」
 「どうしてだね 妙に確信ありげだな 今日は」
  
 紫という「色」が分かったのなら
 次は何の色にしよう
 いろいろな物の色をダフネがきちんと理解して
 言葉にできれば
 『意思もわからぬまま』から抜け出られるかもしれない
 
 ファントモだった桜の花を
 桜色という色を
 ダフネに伝えて
 そして応えてもらいたかった

 桜色はダフネの色だと僕は思う
 踊りつづけて上気したダフネの頬
 小さくて丸い肩や
 踊るとき筋肉が弾けているように見える足
 若い胸の育ちきらぬ小さな乳首も
 大理石の白に浮かんでくる血の色も
 幸せそうな表情のダフネの鼻の頭も

 それをひとつひとつ
 桜の花の桜色と
 色鉛筆のピンクの色と
 春の夕暮れ近い時間の薄い雲の色と
 比べながら

 それができたら
 今度はもっと違う
 形容詞ではない言葉の意味を
 僕の言葉の意味と同じにする
 そうやって
 ダフネが僕と同じ言葉を話すように

 でも
 そうやって探しているものは
 ただのダフネではなく
 あるいはダフネらしいダフネではなくて
 「僕のダフネ」
 「僕と秘密を分け合うダフネ」なのかもしれなかった

 一ヶ月足らずの時間だったとしても
 あまりに濃密な時間だった
 ダフネを迷路から救い出そうとした時間は
 はからずも
 僕自身が薄い覆いで隠していた
 僕の何かに気づかせもした
 それは僕の孤独?
 誰かいつも僕と一緒にいてくれるひとの居ることと
 反対の

 もしかすると
 ダフネが僕を必要としているかどうか
 わかりもしないうちに
 僕がダフネを必要とし始めているのかもしれなかった

 だとしたら