ダフネの夢(2) | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 一瞬のことであるはずの落下のなかで
 ダフネの声を聞きながら
 僕はこれで親しかった人たちのところへ行くのだと
 それから死ぬときは最後の瞬間まで
 どんな痛みがあろうとも
 意識を失わずにいたいと
 いなければいけないと

 ウミネコの群れの中を
 何羽もの羽をへし折るように僕は落ち
 でもやがて頭にかすかにチクリと痛みがあって
 すべては消えた

 気がつくと僕はベッドに寝ていて
 ダフネの顔が目の前にあった
 何か言おうとしたけれど声が出ない
 そしてまた暗転

 また落ちかける僕が見え
 ダフネが手を必死に伸ばして僕をつかもうと
 でも届かずに
 また僕は落ちた
 ダフネは僕の名を呼んで
 それからまた
 ダフネの長く尾を引く悲鳴が耳元で聞こえた

 言うまでもなく
 それは夢だった
 でも僕は眠っていなかった
 叫び声をあげてダフネがベッドの上に起き上がる
 それはダフネの
 ダフネが見た夢だった
 でも僕はそれを見た
 眠っているダフネの顔をじっと見ていたはずなのに
 僕はダフネが見た夢を見た

 そんなことが
 起きるはずはない
 科学が進んだ今でさえ
 人が夢を見ていることを
 その夢の内容を
 他人が知るすべはなく
 REM睡眠が夢の眠りだという科学者はいたけれど
 REMでなくても人は夢にうなされることもあり
 けっきょく夢は夢見る人のなかに閉じ込められた
 科学の及ばない世界だったのだ
 だから僕がダフネの夢を見るなどということは
 起こりようのないことだった

 でも僕はどのくらいの時間かはわからなかったが
 ダフネの見ている夢を見た
 自分が落ちて死にゆく夢を

 ダフネは僕を見つけると
 鋭い恐怖とかすかな安堵の入り混じる
 奇妙な叫びをあげて
 床に座ったまま頭をベッドの上に置き
 まっすぐに伸ばした僕の手を両手で握り
 ガクガクと震えながらまた悲鳴をあげた

 思い返してみれば
 不思議なことだが僕はダフネに名乗ったことはなく
 ダフネが僕の名を呼んだのだとしたら 
 それはあのひとが僕を呼んだのを聞いていたからとしか
 考えられず
 それはダフネにはできないことだったから
 まだこれも
 もう一つの夢の途中なのだと僕は考える

 けれどもうそれ以上の夢は見えず
 ダフネはつかんだ僕の手を
 自分の顔の近くまで引き寄せて
 まるで噛みつくみたいに
 何度も口づける
 そうしながら
 ダフネはベッドの下にいる僕の上に
 落ちてきて僕の名をまたKと呼びながら
 しがみつく

 僕の落ちていくのを見た夢が怖かったのか
 僕が遠くに引き退いていくのが怖かったのか
 それとも自分が僕を突き落としたことに
 死ぬほど驚いたのか
 そうにちがいないと思って僕はダフネを抱きしめる
 ウミネコの声が聞こえ
 二人して海へ落ちていくような気がした
 
 どこまで堕ちればいいのだろう
 ダフネ
 君を愛するためには

 僕は今君の心を
 僕に押し当てられた胸の奥にあるものを
 感じて君を抱きしめているはずなのに
 なぜ君がそうしているのかが

 こんなに喘ぐように息をしているのに
 僕には相変わらずわからなかった

 落ちていくとき僕は君の手をつかみ
 一緒に墜ちていきたいと願ったろうか

 ましてやこの夢は
 やはり僕の見た夢で
 だんだん僕に近づいてくるダフネを
 いや近くにくれば
 いつかまた遠ざかることになることを
 恐れた僕の夢ではなかったか
 食い違う時間を超えるすべもなく

 この夢が
 ダフネも僕に近づくにつれ
 僕と同じようにまた遠ざかるのを恐れて見た夢でないのなら
 これは異なった悪夢を見て
 恐れて誰かにしがみついている
 哀れな二人の
 同床異夢の慰めあい求めあい
 
 愛なんて恐れを慰め合うことに過ぎないわと
 もうひとりのダフネなら言ったかもしれない
 でも僕はそれを決して言うことのない
 言うことのできないダフネを抱きしめていた

 ダフネの顔を見ようと
 僕がダフネの両肩をつかんで
 ダフネの上体を持ちあげると
 はだけたパジャマからダフネの片方の胸が
 するりとのぞいた
 この若い胸の奥にあるものを知りたいと
 知らなければならないと思ったとき

 僕の顔に顔を近づけてダフネが
 ひとこと言った
 「シュミレ」と
 花びらのような桜色の唇を
 ちょっとすぼめて