もしも
素晴らしい一生のその後で
とうとう君が死を迎え
白く奇麗な灰になったなら
遠くから出かけて行って
その灰を
耳かきの先ほどももらい受け
小型ロケットの金星号で
アンドロメダまでも飛んで行き
そこで
灰入れたガラスの小瓶の
栓を抜き
君を宇宙に放そうと
そんなこと考えるのには訳がある
この世の人はいつか人生を終え
静かに葬儀という名の出発式が執り行われ
美しい灰と悲しい煙になったとしても
その分子の炭素やカルシウム
はかなく風に舞ったとしても
引力のあるこの星の大気圏からは
出て行かず
やさしいこの星の一部になるだろう
永い時間の中では
君を埋めた墓地だっていつの間にか
緑の広がる野になって
君の一部だった灰たちは
地層のなかに堆積し
微生物や植物になり
新しいいのちとなるはずのもの
火の鳥のようなくりかえし
それはまるで
バケツ一杯の水が芝に撒かれても
なくなりはしないようなもの
あるいは
コップの中の真夏の冷たい水のようなもの
僕の水だと主張することはできるけど
コップが倒れて土にこぼれたら
もう僕のものではなくなって
形は消えてしまっても
今度は草の渇き癒す水になる
僕が飲み僕の一部になっていたかもしれない
その水は
そうやって鮮やかな緑の草の一部にもなる
僕にとって美しく喉潤してくれる君が
その水であることを
そんなこと考える僕には訳がある
この星を離れないと言ったけど
時には飛び来る彗星の巻き上げる
熱い炎の風に乗り
地球生命のグループから離れては
永い永い時間のあちら側
生まれ来る新しい星々の
一部になっていくのかもしれない
宇宙に終わりがあるかどうかは分からないけど
同じように
この宇宙の「有」の外側に「無」があるかどうかも
わからない
多分この輝く塵で満たされた
僕らの宇宙は外側のないままに
僕らを包んで閉じている
そうならば
この星の上ではとうとう
一緒にいられなくなったとしても
君の分子のかけらと僕の
粒子のかけらがこの宇宙の中の
見知らぬ星雲の蔭に隠れた
平和な星で
一緒に一本の木になって生きる日が
来ないとは限らない
光の微粒子になり
何万光年も惑星間
銀河間旅行をしていけば
宇宙の果てに一本の
美しく空へと伸びた木の
安らぐいのちのあることを
科学の教義に従って
僕は断乎として疑わない
だからもし
素晴らしい一生のその後で
とうとう僕が死を迎え
一握の
真っ白な灰になったとしても
君に泣く必要なんてあるはずはなく
かって僕だったその灰を
耳かきの先ほども瓶に詰め
太陽風に乗る舟の
舳先にそっと置けばいい
そうすればまたいつか
君は
木となった僕に会うだろう
そして
そのとき君はきっと
知るだろう
その木の枝の小さな一本の
なかで笑っている
この僕の
そばに君の場所があることを
いいと思わないかい
また例の
よのゆめ真夏さんの歌
『光のビリューシ』だよ