その男は
焼け付くような砂浜を歩いていた
頭上の太陽はじりじりと燃え
「きょう ママンが死んだ」で始まる
A・カミュの『異邦人』
題名にひかれて手に取った文庫本の
一ページ目の最初の一行が
あれほど衝撃的だった本はない
養老院で母が死んだという
電報を受け取って
ムルソーは眉一つ動かさず
それがいつだったのかにも関心はなく
荒んだいつもの生活のままで
だから『異邦人』は
人生の不条理ゆえに
生にも死にも無関心になった男の物語だと
言う人もいるが
僕は最初の数ページから最後まで
ムルソーの悲しみを
感じつづけた
やがて男はつまらない諍いに巻き込まれ
太陽が眩しかったからという理由で
人を殺してしまう
今の日本なら意味もなく人を殺す人は
いっぱいいるけれど
誰も太陽のせいにはしないだろう
死刑になることを望んででもいたかのように
ムルソーは自分を弁護することはない
自分を産んだ母の人生が無意味であったなら
己れの人生もまた無意味であってもよかろうと
言ってでもいるかのようだ
岩を山頂まで押し上げて
転がり落ちたその岩をまた下から
押し上げる
シジフォスの神話を描いたカミュ
革命ではなく反抗を選びたかったカミュ
そのカミュが描くムルソーは
絶望した人なのか
ムルソーは無意味な人生を
意味ありげに語ることを望まなかっただけで
投げやりに
死にたがっていたわけではない
もし投げやりだったなら
あれほど不条理な理由に固執しなかったろう
無意味な使役にもかかわらず
シジフォスが岩を押し上げるのを止めなかったように
必ず死ぬからと言って
生きようとするのを人が止めないように
無意味な生をそのままに
生きることを
その男ムルソーは選んだ
そしてそれは僕らの人生が
不条理で無意味だと認めるときも
なお
その不条理な自分を生きるのだと
ちょうどムルソーの
母親が不条理な人生を生きて死んだように
それは悲しい
実に悲しいことだけれど
その悲しさの中で
母親もムルソーも同じになって
悲しさゆえに立ち止まらずに
まっすぐに死に向かって行った
それは
己れの生き方を貫いて毒杯を
敢えてあおったソクラテスにも似て
それは僕の中で
悲しくも
神々しくさえある神話になった
僕はいつも
前向きな気持ちになって
明日も頑張って生きようと
思う日に限って
ムルソーの死を思い出す
どのように無駄なことであれ
どのように人に言われても
自己弁護することのない人生をと
死んで行ったムルソーに
僕は自分を重ねて
笑いながら
生きるだろう
あの人も死に
そして自分も死ぬだろう
死ねば何も残りはしないのに
何を探して僕は生きるのか
果てしなく遠い道を
果てしなく遠いがゆえに
ただそのことのためだけに