蝋燭に幸せの火がともると悲しみの火がひとつ消え
悲しみの火がともると幸せの火が消える
まるで二本の蝋燭を同時に燃やすだけの
酸素が世界にないかのように
まだ寝足りない未踏と僕
それから
ずっとピアノを弾いていたのか
それともどこかで眠ったかした
Aさんと 三人で朝食を済ませた
それから
ずっとピアノを弾いていたのか
それともどこかで眠ったかした
Aさんと 三人で朝食を済ませた
Aさんはよく笑うが余りおしゃべりではない
きっとAさんも未踏のように
ピアノだけを表現として生きている人なのだろう
僕も何を言ったらいいのかわからなく
三人ともそろって無口に食べた
その日
外は快晴で海が真近に迫っているように思え
風は凪いだままだった
港で目を覚すのは家で目を覚ますのと
格段に違う気がする
目を覚ますとすぐに海がそこにある
そういう感覚は僕の大好きな感覚だった
「じゃあ また明後日の夜」と
Aさんと別れ際に未踏が言った
Aさんはニコリと笑うと
「ずいぶんと歌えるようになったなあ」とポツリ
僕は「また明後日」じゃなかったから黙っていたが
昨夜のこと ピアノのやさしさや
未踏があんなに生き生きと歌えるのは
Aさんのおかげだと
何かそんなことを言いたかったが
いろいろな矛盾するような気持ちが重なりあって
うまく言葉にならず
「楽しかったです」とだけ言おうと
なのにAさんの笑顔を見て僕の口が言ったのは
「幸せな夜だった」
それはある意味正直過ぎる告白
まるで子どもみたいな台詞を聞いて
Aさんはまた微笑んだが 何を思ったのか
僕の隣に立って僕の肩に腕を回して言った
「俺もだよ 幸せな夢を見た」
ウミネコがにゃあと鳴いて
未踏は肩を組んだ僕たちを
珍しいものを見るような目で眺めていた
未踏は何を考えていたのだろう
未踏はAさんが死ぬほど好きなのに違いない
レストランの人たちはそれを知っている
いや おそらくAさんがもっともよく知っているはずだ
Aさんを見るときの未踏の大きな瞳
まるで犬のようにAさんの言葉を聞く未踏が
そうでないなんて誰も考えはしない
でも二倍も年上で
ということは二倍も人生を生きてきた
父親と言ってもおかしくはないAさんを
愛することがどういうことか
二人をよく知っている人たちにもわからなかった
何より未踏にもわからない
そういう歯がゆい想いで
Aさんでない伴奏者を探した結果が
あの夕暮れの駅のギターとの路上ライブだったのだ
ギターが巧い英文の先輩と意気投合し
小さなバンドを作れれば何かが変わるかと思って
小さなバンドは成功だったけれど
そのまま続けることは
未踏自身ができなかったのだと思う
何が不足で?
それはきっと深い息
Aさんのピアノで歌うときには
自然と大きく膨らむ胸がふくらまなかったのだ
レストランの誰にも未踏にもわからなかったことが
よそ者の
そして未踏が好きな僕には
痛いほどよくわかる
Aさんという
僕から見ても素晴らしい人に出会った後で
その「わかること」をどうしていいのか
僕にはわからない
未踏を家まで送ることになって僕たちは
Aさんとわかれて歩き出す
不思議に暖かい陽射しが満たす港の道を
未踏が僕の腕に寄りかかる
まだきっとAさんは僕たちを見送っているはずだった
そうやってAさんに焼き餅を焼かせることなんか
未踏は決して考えない
考えられない人間なのだ
未踏の矛盾が僕の胸をしめつける
「どうすれば」と未踏がぽつりと言う
「え?」と聞き返す僕の腕を未踏が強く抱きしめ
それきり黙りこんだ
30メートルもそうやって歩いたとき
未踏が立ち止まって僕に真っ直ぐな目を向けて言う
「クリスマス・イブ 会いにいきたい」と
僕は当惑する それは僕になのか それとも
「歌があるんじゃないの」と僕
「その後で」と未踏は言ってから
息を深く吸い込んでから付け加える
「Aさんと話してみたいから
それで その後で」
僕は空いている方の手で自分の胸を押さえる
ドキドキと鳴る心臓を抑えこみたくて
それから「いいよ」とだけ言う
僕にはそれしかできない
もしも僕にピアノが弾けたなら
何かもっと別のことができたかもしれない
いや仮にAさんよりも
素晴らしいピアニストだったとしても
素晴らしいピアニストだったとしても
数年という時間をかけて醸成された
美しい酒を造ることは僕にはできない
僕にできる最大のことは
静かに
起きていく出来事に抗わず
ただ静かに
ただ静かに
待つこと
待って未踏の気持ちが何なのか
Aさんの気持ちが何なのかを
確かめて
それに従順に従うことだけだ
Aさんの気持ちが何なのかを
確かめて
それに従順に従うことだけだ
でも
未踏がそうやって
未踏がそうやって
愛とは何かを確かめると決めたとき
僕も未踏に負けまいと考えたときには
僕も未踏に負けまいと考えたときには
すでに出来事は大きく動き出していた
未踏を そして
未踏の歌の力を知り尽くし
僕たちを見送ったピアノ弾きの
たった二週間ほど先の
クリスマス・イブを待たなかった
せっかちな決心で

