米国に本社があるA社は、第三分野と呼ばれる「がん保険」を日本で販売し始めた先達です。しかし、奇妙なことがあるのです。
A社の日本進出は、70年代に来日した創業者が、日本人の衛生に対する意識の高さに驚いて、日本市場への参入を決意したというのですが、これがどうも臭いのです。
1954年に第五福竜丸のビキニ水爆実験被爆があって、日本を含む太平洋全体がビキニ水爆実験の放射能に汚染され、さらに処分されなかった汚染マグロを日本人が食した20年後の1974年に「がん保険」の日本での事業を開始したのです。しかも、しばらくは日本での「がん保険」はA社だけだったのです。
がん保険は第三分野保険と呼ばれ、日本の保険会社が扱う事ができませんでした。参入にはアメリカとの合意が必要で、結局、2001年までの長期にわたって参入できなかったのです。ちなみにA社の日本でのがん保険シェアは、99年まで85%というシェアがあったのです。今でもがん保険はA社やA社(アメリカンが付くので笑)の独占状態にあります。
ボクの妄想では、ビキニ水爆実験が、日本における「がん保険」販売のきっかけとなったと思うのです。あくまでも個人の意見です。
「がん保険」wikipediaには、
1996年の日米保険協議では、第三分野保険における外資の独占政策を2000年末まで延長することが合意された。2001年、自由化の期限を迎えたものの、同年1月に同分野参入が解禁されたのは大手生命保険会社と損害保険会社の子会社生保のみであり、大手損保の市場参入についてはアメリカ合衆国の要求により半年遅れの同7月からとなった。現在は、多数の外資系・国内系の保険会社が多様ながん保険を販売している。
ミドリ安全.com
A社の日本進出は、70年代に来日した創業者が、日本人の衛生に対する意識の高さに驚いて、日本市場への参入を決意したというのですが、これがどうも臭いのです。
1954年に第五福竜丸のビキニ水爆実験被爆があって、日本を含む太平洋全体がビキニ水爆実験の放射能に汚染され、さらに処分されなかった汚染マグロを日本人が食した20年後の1974年に「がん保険」の日本での事業を開始したのです。しかも、しばらくは日本での「がん保険」はA社だけだったのです。
がん保険は第三分野保険と呼ばれ、日本の保険会社が扱う事ができませんでした。参入にはアメリカとの合意が必要で、結局、2001年までの長期にわたって参入できなかったのです。ちなみにA社の日本でのがん保険シェアは、99年まで85%というシェアがあったのです。今でもがん保険はA社やA社(アメリカンが付くので笑)の独占状態にあります。
ボクの妄想では、ビキニ水爆実験が、日本における「がん保険」販売のきっかけとなったと思うのです。あくまでも個人の意見です。
「がん保険」wikipediaには、
1996年の日米保険協議では、第三分野保険における外資の独占政策を2000年末まで延長することが合意された。2001年、自由化の期限を迎えたものの、同年1月に同分野参入が解禁されたのは大手生命保険会社と損害保険会社の子会社生保のみであり、大手損保の市場参入についてはアメリカ合衆国の要求により半年遅れの同7月からとなった。現在は、多数の外資系・国内系の保険会社が多様ながん保険を販売している。
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こんな夢を見た。
ある観光地。荒っぽい水晶なんかをごちゃごちゃ売っている土産物屋が軒を並べる賑やかな温泉街。 僕は、どうやらかみさんの家族と旅行をしているようだ。義父と義妹が一緒にいるからだ。
何故か女優の檀れいがやっている駄菓子屋にはボクが欲しい古いお菓子やオモチャが沢山あって、買おうとしてズボンのポケットをまさぐるが、手持ちは千五百円。これでは何も買えないのだ。仕方なく、かみさんの元に戻って、「三千円ちょうだい」と母親に甘えるような声で言う。しかし、かみさんは怖い顔をして絶対にダメだという。かみさんの妹も怒っている。それでも「二千円でいい、ええい、千五百円ちょうだい」と言うと、義妹は怒って僕に向かって財布を放り投げる。僕は子供のように喜んで中から二千円をとって駄菓子屋に向かう。
しかし、途中の肉屋の前で転ぶ。すると肉屋店頭のガッパの二匹フィギュアセットを発見。値段は五千円。欲しいが高価だし、かみさんたちに怒られるので、そのまま買わずに駄菓子屋へ向かおうとすると、ポケットに無意識で二個のオモチャが入っている。さっきの肉屋の店頭で手にしたものを持って来てしまったようだ。驚いて戻そうかどうか考えるが、結局は肉屋まで戻ることなくポケットに突っ込むと、ボクを肉屋から追跡してきた二人の若者が来て、「万引きだ」と騒ぐ。ボクは慌てるがあとの祭りである。直ぐに警察が来る。僕は警察まで連行されることになる。
連行途中、雨が降って、道はぬかるむ。何時の間にか谷啓になった僕はこういう状況に陥ってしまった自分に腹が立って泣きながら道を転げ回る。 一匹の鳩が倒れていて、その鳩を捕まえようとするが、ぐるりとカメラワークが煽るように回り込んでみると(この時の僕は残酷なる別の僕である)鳩が血だらけで首から大きな看板がニョキニョキと出て来て血だらけである。 「なんでこんなことをしたんだ!」と僕は泣き叫ぶのであった。
ある観光地。荒っぽい水晶なんかをごちゃごちゃ売っている土産物屋が軒を並べる賑やかな温泉街。 僕は、どうやらかみさんの家族と旅行をしているようだ。義父と義妹が一緒にいるからだ。
何故か女優の檀れいがやっている駄菓子屋にはボクが欲しい古いお菓子やオモチャが沢山あって、買おうとしてズボンのポケットをまさぐるが、手持ちは千五百円。これでは何も買えないのだ。仕方なく、かみさんの元に戻って、「三千円ちょうだい」と母親に甘えるような声で言う。しかし、かみさんは怖い顔をして絶対にダメだという。かみさんの妹も怒っている。それでも「二千円でいい、ええい、千五百円ちょうだい」と言うと、義妹は怒って僕に向かって財布を放り投げる。僕は子供のように喜んで中から二千円をとって駄菓子屋に向かう。
しかし、途中の肉屋の前で転ぶ。すると肉屋店頭のガッパの二匹フィギュアセットを発見。値段は五千円。欲しいが高価だし、かみさんたちに怒られるので、そのまま買わずに駄菓子屋へ向かおうとすると、ポケットに無意識で二個のオモチャが入っている。さっきの肉屋の店頭で手にしたものを持って来てしまったようだ。驚いて戻そうかどうか考えるが、結局は肉屋まで戻ることなくポケットに突っ込むと、ボクを肉屋から追跡してきた二人の若者が来て、「万引きだ」と騒ぐ。ボクは慌てるがあとの祭りである。直ぐに警察が来る。僕は警察まで連行されることになる。
連行途中、雨が降って、道はぬかるむ。何時の間にか谷啓になった僕はこういう状況に陥ってしまった自分に腹が立って泣きながら道を転げ回る。 一匹の鳩が倒れていて、その鳩を捕まえようとするが、ぐるりとカメラワークが煽るように回り込んでみると(この時の僕は残酷なる別の僕である)鳩が血だらけで首から大きな看板がニョキニョキと出て来て血だらけである。 「なんでこんなことをしたんだ!」と僕は泣き叫ぶのであった。
スティーブ・マックイーンの遺作「ハンター」を見ていた。今作中のマックイーンは走る電車の屋根の上でのアクションシーンがあるものの、全体的に表情は冴えず、動きも鈍い。変だなと思ったら以下のような理由があった。
マックイーンは50歳で亡くなっている。1979年に西部開拓時代に実在した賞金稼ぎをモデルとした「トム・ホーン」の撮影中に、中皮腫を発症していることがわかり、翌年に撮影されたこのハンターでも主演したが、その時点で数ヶ月の余命宣告を受けていたのだ。
wikipediaを参照したら、その中皮腫罹患に関して2つの要因が考えられるという。
ひとつはマックーンが海兵隊時代に乗務した戦艦の船室の内装に多用されていたアスベストや、俳優になってからの趣味であったカーレースで当時使わ れていたアスベスト製の耐火服や耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸入したのが原因ではないかといわれている。
もうひとつは、アメリカ軍が核実験に使用した荒野や砂漠が、マックイーン映画の撮影現場として使用されていて、汚染されていた現場からも放射性物質を吸入したことが、さらに病状を悪化させたともいわれている。
中皮腫
マックイーンは50歳で亡くなっている。1979年に西部開拓時代に実在した賞金稼ぎをモデルとした「トム・ホーン」の撮影中に、中皮腫を発症していることがわかり、翌年に撮影されたこのハンターでも主演したが、その時点で数ヶ月の余命宣告を受けていたのだ。
wikipediaを参照したら、その中皮腫罹患に関して2つの要因が考えられるという。
ひとつはマックーンが海兵隊時代に乗務した戦艦の船室の内装に多用されていたアスベストや、俳優になってからの趣味であったカーレースで当時使わ れていたアスベスト製の耐火服や耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸入したのが原因ではないかといわれている。
もうひとつは、アメリカ軍が核実験に使用した荒野や砂漠が、マックイーン映画の撮影現場として使用されていて、汚染されていた現場からも放射性物質を吸入したことが、さらに病状を悪化させたともいわれている。
中皮腫
となりのトトロを見ていたら自転車の三角乗りをする場面があった。「蛍の墓」と併映された、このアニメ映画を僕は映画館で2回、ビデオやテレビでも何度も見ているはずなのに、この場面に初めて気がついた。
「三角乗りだ!」と僕が言うと、一緒に見ていたかみさんは「三角乗りって何?」と聞く。僕と1歳しか年が離れていないのに三角乗りを知ら ないとは?(馬鹿にしているのではない)
結局、かみさんは54歳になって初めて三角乗りという自転車の乗り方があった事を知った。
それでいいのである。人生なんて適当だ。1歳のときに知っても、死ぬ間際に初めて知っても結果は同じだ。どうせ行く先は棺おけの中だからだ。
棺おけに持っていくしかない役に立たない知識を「ただ知っているだけ」で頭がいいとか、自分は物知りなんだと自慢するバカが大勢いる。
彼らは結局、全体を見ることができない今しか考えられぬ愚か者なのである。自分はいずれ死ぬのだということを知らないのだ。死ぬ事も痛みも苦しみも楽しみも彼らには理解できぬのだ。
「お前たちはバカなのだ」
僕はこれから死ぬまで初めて知ることが沢山あるだろうが、そのたびにつつましく感動して涙する事にしよう。
「三角乗りだ!」と僕が言うと、一緒に見ていたかみさんは「三角乗りって何?」と聞く。僕と1歳しか年が離れていないのに三角乗りを知ら ないとは?(馬鹿にしているのではない)
結局、かみさんは54歳になって初めて三角乗りという自転車の乗り方があった事を知った。
それでいいのである。人生なんて適当だ。1歳のときに知っても、死ぬ間際に初めて知っても結果は同じだ。どうせ行く先は棺おけの中だからだ。
棺おけに持っていくしかない役に立たない知識を「ただ知っているだけ」で頭がいいとか、自分は物知りなんだと自慢するバカが大勢いる。
彼らは結局、全体を見ることができない今しか考えられぬ愚か者なのである。自分はいずれ死ぬのだということを知らないのだ。死ぬ事も痛みも苦しみも楽しみも彼らには理解できぬのだ。
「お前たちはバカなのだ」
僕はこれから死ぬまで初めて知ることが沢山あるだろうが、そのたびにつつましく感動して涙する事にしよう。
利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定するー