「白河以北一山百文」

「白河以北一山百文」・・・もちろん、福島県の白河市以北の東北の地を侮蔑した言葉です。この蔑称に抵抗する意味を込めて、宮城県仙台市では「河北新報」が創刊されました(実はそんなに単純ではありません。本を買って、借りて読んでください)。また旧盛岡藩の出身者である原敬も「一山」と号したといいます。

この侮蔑の意味が込められた言葉は、いつ誰が何のために生まれたのでしょう?

河西英道さんの著書「続・東北」(中公新書1889)を参照してみます。

「白河以北一山百文」とは戊辰戦争時に新政府軍の将校が発した言葉だと思われていますが、実証されていません。

有力な説があります。

東北在住の歴史家、庄司吉之助、岩本由輝によって指摘され、自由民権研究家の安住郁夫、田崎公司によって紹介されたものだそうですが、「近事評論」『白河以北一山百文』明治11年(1878)8月23日)を起源とする説です。それは以下のようなものです。

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往来で日本地図を開き、各地の土人形を並べて、「白河以北一山百文」と泣き叫ぶ売り子がいた。わけを問えば、西南の人形は飛ぶように売れるが、「東北地方ノスデニ天下ニ厭棄(えんき)セラル、ノ久シ」いため、東北の人形は叩き売りでもしなければ売れない。それが悲しくて泣いているのだという。そこでこう諭した。「治乱盛衰ハ天ノ道ナリ」、「楽アレバ苦アリ」。今は人気がある西南の人形も、いつ廃れて顧みられなくなるかわからない。やがて東北の人形が大いに売れる日も来るだろう。すると売り子は納得したと見え、泣くのをやめて、再び大声で「白河以北一山百文」と叫んだ。

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文章をよく読むと、”勝てば官軍、負ければ賊軍”なのだよという意味があり、東北を侮蔑した内容でもないと思うのですが、問題は「白河以北一山百文」という言葉の定着化です。

明治維新以降、奥羽列藩(東北)に対して侮蔑的な見方をされていきます。そのためには東北を侮蔑する言葉として手っ取り早く、わかりやすい言葉が必要です。それは今の流行語みたいなものです。

また東北人は自虐的な反抗心が強い(僕個人の意見です)ために”白河以北一山百文”を自ら称するようになります。そこには明らかに”西南日本”への対抗意識が含まれていたのです。

西南日本は侮蔑の意味を込めて「白河以北~」と言い、東北人も自虐的反抗心から自らを「白河以北~」と言います。そのうちに東北を表現する際に「白河以北一山百文」という言葉が定着してしまったようなのです。


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大君の儀、一心大切に忠勤に存ずべし。列国の例をもって自ら処るべからず。若しニ心を懐かば、即ち我が子孫に非ず。面々決して従うべからず。

武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。上下の分を乱るべからず。

兄を敬い、弟を愛すべし。

婦人女子の言、一切聞くべからず。

主を重んじ、法を畏るべし。

家中、風儀を励むべし。

賄いを行い、媚を求むべからず。

面々、依怙贔屓すべからず。

士を選ぶには、便辟便侫(べんぺきべんねい:こびへつらって人の機嫌をとるもの口先がうまくて誠意がない)の者を取るべからず。

賞罰は 家老のほか これに参加すべからず。
もし位を出ずる者あらば これを厳格にすべし。

近侍をして、人の善悪を告げしむべからず。

政事は利害を持って道理をまぐるべからず。詮議は私意を挟み、人言を拒ぐべからず。思うところを蔵せず、もってこれを争うそうべし。甚だ相争うといえども、我意を介すべからず

法を犯す者は、宥すべからず。

社倉は民のためにこれを置く。永く利せんがためのものなり歳餓えればすなわち発出して、これを済う(すくう)べし。これを他用すべからず。

若しその志を失い、遊楽をこのみ、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしむれば、即ち何の面目ありて封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表蟄居すべし。
「大山巌 Ⅰ 戊辰戦争」児島㐮 著 文春文庫版より

薩摩藩が雄藩と見られたのは経済力より軍事力だ。薩摩藩は諸藩と比較すると圧倒的に武士が多い。文政9年(1826)では、人口約61万人のうち武士は40%を占めており、この比率は明治まで変わっていない。地域によっては、さらに高く明治6年(1873)の全国士族調査によれば、薩摩郡入来では住民の60%を占めたと記録されている。因みに全国平均では10%以下である。

薩摩藩は、藩外部との交通を厳重に制限し、自給態勢をしいていただけに、棒給生活者の武士を多く抱える事でかなりの生活苦を招いていた。農工商民が少なく、農民の生活は苦しくなるが、彼らの生産物を多人数で分配するために当然、武士階級の生活も苦しくなる。薩摩芋がほぼ常食となって、武士であっても三食を白米でとおすのは難しかった。