『クワイエット・プレイス:DAY1』観ました。
公開中につき、ネタバレなしでいきます。
末期ガン患者のサム(ルピタ・ニョンゴ)は
郊外のホスピスで愛猫フロドと暮らしていました。
ホスピスのリクリエーションでマンハッタンに行くと、
空から隕石のようなものが大量に降り注ぎ、
街は大混乱になってしまいます。
降りてきた宇宙生命体は容赦なく街の人々の命を奪い、
どうやら音に反応して飛んでくるので、
生き残った人々は音を出さないように隠れるしかありません。
そんななか、
サムはホスピスに来る前に住んでいた地区へ向かうことにします……
『クワイエット・プレイス』の続編というか、前日譚であるホラー映画です。
これは『クワイエット・プレイス』とはけっこう毛色が変わってまして。
シリーズもののひとつとして、興味深い一作になっていました。
まずこのポスターから抱くイメージとキャラクターのイメージが全然違うんですね。
で、最初の予告トレーラー見たら、
本編にないシーンや、本編とはキャラクターが変わっているシーンがあって、
そういうことはよくあるといえばあるんだけど、
でもマーケティングとして予告を作ったり、
ポスターをデザインしたりするチームと齟齬があったか、
第一報のあとに監督が再編集したか、
そういう、予告の時点からは大きな方向転換があったと思われます。
つまりね、猫のフロドです。
この映画本編では、外しようがない重要なキャラクターの猫のフロドが、
ポスターにいない。
はじめの予告トレーラーにもほとんど写ってない。
この映画を観た人なら誰もがそれが異様なことだとわかるはず。
猫のフロドは賢く、愛らしく、強く、ひたすら尊い。
恐怖に怯える人間たちはみんなフロドに癒されて笑顔を取り戻す。
そんな内容なのに、
ポスターにも予告にもそれが描かれてないの、おかしいんですよね。
それでなんとなく、
監督の個性がマーケティング部の想定よりも強いのかなと思ったりしたんです。
で、ツイッターで、
「この映画の監督はマイケル・サルノスキ監督、
ニコラス・ケイジの『ピッグ』の監督です!
だからシリーズものの続編でも監督の個性が炸裂してる!」と言ってる人がいて、
あーーーーーなるほどと、
めちゃくちゃ理解できました。
動物に対して抱く人間の心や、喪失感、
どうしようもない胸の痛み、
そして、弱い人間への優しい眼差し。
この監督のテイストがわかる気がした。
『ピッグ』は社会の闇を描くバイオレンス映画、
この映画は宇宙人モノのホラー映画という、
どちらもいわゆるジャンル映画だけど、
こんなふうに作劇できるのはすごい個性だなと思いました。
気になる監督がまた登場しました!
あ、あと、ポスターの話でいうと、
サラリーマンふうの男性がサムを守ってるように見えますが、
実際には彼は法律を学ぶイギリス人の学生で、
外国でこんな恐ろしい目に遭って、怖くて頼る人がいなくて、
サムについてくるので、
どちらかといえばポスターとは逆。
男性と女性の配置をこういうふうにする意図って、
なんなんやろうなって、ちょっとうんざりした。
思えば『クワイエット・プレイス』は宇宙生命体襲来による緊急事態で、
古い家父長制で暮らす一家の話。
やむを得なかったとはいえ、
あの映画、ずっと父親に腹を立ててた僕としては、
この『DAY1』のポスターに作為を感じてしまうな……
サムの名前もさ、正式名称はサミラらしいけど、
作中ずっとサムだったんたからサムと書くべき。
サミラって呼ばれるシーン、たしかなかったと思う。
『クリード』でもドニーって呼んでくれって本人が言ってるのに、
映画の紹介サイトとかではすっとアドニスって書いてあるの、
めちゃ納得いかんのよ……
アドニスという名前はいわゆるキラキラネームだから、
本人が嫌がってるんだから呼ぶのやめてあげてくれ……
本人が呼ばれたい名前で呼ぶ、
いやがってる呼び名は使わないって、
相手を尊重する第一歩だし、
いじめの防止にもつながるので、
大事にしてほしい概念じゃないかなと思います。
あ!それから!
いわずもがな、サムとフロドという名前、
『ロード・オブ・ザ・リング』から来てると思われますが、
僕はどっちかというと配役的には逆かなと思いました、
へっぽこハンターコトワでした!
(^-^ゞ