『犬王』観ました。
公開中ですが、思うところがあって、ネタバレ含みます。
室町時代のはじめ、壇ノ浦の漁師の子・トモナは、
父とともに平家の遺物回収の仕事を引き受けますが、
海から引き揚げた宝刀により父は命を落とし、
トモナも視力を失ってしまいます。
琵琶法師の一座に加えてもらったトモナはトモイチと改名し、
奇形に生まれついたために親から疎まれ、盗みをして暮らす若者と出会います。
彼は親に名前をつけられなかったため、
犬王と自ら名乗り、その体を活かした独自の舞を披露。
ふたりは意気投合します。
トモイチの父の幽霊が、
犬王にはなぜか戦争で亡くなった平家の人間の悪霊がたくさん憑いていると教えてくれたので、
琵琶と舞で彼らの人生の話を表現して成仏させてやろうと感じたふたりは、
その独自のパフォーマンスで瞬く間に評判になります…
美しい映像とロックで奇抜な音楽がとてもユニークなアニメ作品でした。
パフォーマンスのシーンがおもしろくて、
怪異とイリュージョンの合わせ技!
(((o(*゚▽゚*)o)))
ただ、お話は悲しいものでありましたね…
ネタバレすると書いたのでするんですけど、
犬王は直面(ひためん。能などの舞台でお面をとること。)で舞うことを要求され、
顔立ちが噂通りに醜ければ、
将軍に醜いものを見せた罪で首を刎ねるといわれるクライマックス。
犬王は首を刎ねられてこの話は終わると思ったんです。
でも呪いが解けて顔立ちが変化したため、
それは免れた。
しかし、呪いが解けて、文字通り憑き物が落ちた犬王には、
実は価値もこだわりもなくなり、
逆にトモアリ(トモナからトモイチ、さらに改名してトモアリ。本人の意思を尊重してトモアリと呼びます)のほうが、
犬王の語る物語や、犬王の舞に合わせた音楽にこだわりがあった。
それでトモアリのほうが反逆罪で首を刎ねられることになるというのは、
なんとも皮肉な運命だなと…
『マトリックス:レザレクションズ』観てさ、
ネオ自身はやるべきことをやったと思って成仏してたけど、
モーフィアスはずっとネオの奇跡を信じて待ち続けたっていう、
あの関係性を思い出した。
モーフィアスの強い気持ちを変えることはできないってオラクルも言ってたもんな…
それはさておき、政治のせいで犠牲になる芸術家という構図であることは、
単純に悲劇エンタメとして消費してはいかん、なにかを感じましたね。
特に今の日本の政治は問題大ありだからね…
みんなもニュースには注目して、政治家の悪事には目を光らせてね…
ほんとに世界からも、日本の政治家の凋落ぶり、批判されてるからね…
(-。-)y-゜゜゜
なぜ本人になんのゆかりもないのに犬王が平家の落人に呪われているかは、
実はちょっとしたいわくがあったのですが、
そうでなくても日本の幽霊って呪う相手間違いがちだよねとふと思った。
幽霊騒ぎがあったときに、
ひどいことをした人間に復讐をしている幽霊のことを、
ジャスティスゴーストと呼ぶらしいですが、
それはさ、理解できるやん。
でも、昔から日本の幽霊騒ぎは幽霊とは関係ない人が呪われることが多い。
先日『ザ・グラッジ』観て思ったけど、
伽椰子は“呪怨”と呼ぶくらい重い呪いをかけてるけど、
そのほとんどの相手は自分と関係ない人たち。
壮大な八つ当たりなんですよね。
そこがハリウッドリメイクで抜け落ちたから、
なんであの家に入っただけでみんな不審死していくのか、
ちょっと意味不明な映画になっちゃってた。
『呪怨』愛は強い監督だったが、
『呪怨』をみんな観てるよね!という前提で話をつくってたからね…
そもそも、海外の聖人はなにか徳の高いことをして列聖されますが、
日本の神社に祀られる人たちっていうのは、
恨みを残して死んだので、
呪われたくないから祀っておくというケースがほとんど。
なぜかわからんが昔から呪う相手を間違いがちな文化なんよね…
海外ホラー映画で、感じ悪いパリピが殺人鬼に襲われたりすることについて、
殺人鬼ってのは究極の“いじめっ子”だから、ほんとはきっと弱い人たちを襲う、
悪人を殺す正義の味方なわけはないってコメントしている人がいて、
なるほどねえ…と思った、
へっぽこハンターコトワでした。
僕は単純な人間なんで、悪人は容赦なく報いを受けてほしいし、
幽霊は自分を殺した人に復讐してほしい…
なんなら同じ境遇の人のピンチには駆けつけてほしい…
日本の怪談向きじゃないのかな?
(;^_^A